昭和を代表するスター『山口百恵』がデビューしてもう、40年。本誌はデビューからずっと、百恵さん(54)に迫り続けてきた。ときには電話をもらい、ときには諭され、ときには逆に追いかけられて……。あのとき書けなかった『女性自身』“百恵番”記者が初告白する、百恵さんの実像。

「あの……、山口百恵のコラムを担当している記者さんはいますか?」と電話がかかってきたのは、夜型の編集部内にはほとんど人けのない平日のお昼のことだった。

1979年。当時、人気絶頂だった歌手・山口百恵への『おせっかいレポート/山口百恵さん以外の人は読まないでください!』と、題された100行足らずのコラムがあった。担当は“百恵番記者・山口百吉”を名乗る福田雅夫記者(57)だ。3年目という駆け出しの実用班記者だった彼は、百恵さんのデビューからのファンでもあった。

「当時の担当編集者が『すごく個人的なコラムをやってみないか』と言いだして。その年の2月から31回、百恵さんがいちばん知りたい情報をレポートしていたんです。その電話がかかってきたのは、百恵さんが尊敬してやまないシャンソン歌手・金子由香利さんを取材して、コラムに書いた直後でした」(福田記者)

もちろん、午前中に福田記者はいない。電話に出たのは、たまたま在室していた当時の編集長だった。彼の不在を伝えると、一瞬のためらいのあと電話の女性はこう言った。

「……私、実は、山口百恵です。私も連載を楽しみに読んでいます」

いまよりはずっと、芸能界と週刊誌の距離が近い時代だったが、トップアイドルが直接、編集部に電話してくるなど前代未聞のことだった。そのこと一つとっても、山口百恵は、芸能人としてだけでなく人間として、特別な光を持っているように思えるーー。

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