何人ものお笑い芸人が出演するバラエティ番組で一人、異彩を放つ男がいる。俳優・坂上忍(46)だ。はて。40年以上も前からテレビに出ている人だけれど、実は誰もその“正体”を知らないのではないか――。

「忍の毒舌は私に似たのかも。ギャンブルばっかりで破天荒なところはパパ。両親の悪いところばっかり似ちゃって」

 そう話すのは、忍の母親の淳子さん(73)。34年にわたり歌舞伎町で「ザ・テレビジョン」というスナックを切り盛りするママだ。山形市で生まれた淳子さんは19歳で上京、新聞社の事務員となった。そこで出会ったのが、3つ年上の業界紙記者・パパこと勝也さん。福岡県出身で名前のとおり無類のギャンブル好きだ。

「勝ち気で、大きな夢を持っていて、見えっ張り。でも、そこに私はすごく引かれたんですね。忍は“その血”を受け継いでいると思います」

淳子さんは勝也さんと21歳で結婚。2年後に長男が、4年後に忍が生まれた。芝居を始めたのは兄が先で、そのテレビドラマの撮影現場で、3歳にもなっていない忍はいきなりドラマデビュー。それからは、忙しいながら、幸福な家族の日々があった。

「忍は、3歳から俳優をやっているプロ中のプロですが、だからといって理想的な仕事ばかりがきていたわけではありません。この業界で生き残る唯一の方法は、ブレないこと。天賦の才もあったのかもしれませんが、いろいろ我慢や努力をしてチャンスをつかんだのです」

 そう話すのは実兄だ。家族の幸せはつかの間だった。父・勝也さんは会社を辞め出版社を立ち上げる。しかし失敗し1億円もの借金を抱えた。果てに両親の不和、淳子さんへのDV、離婚。父親不在の自宅に、続々と極悪な借金の取り立てが押しかけた。

「忍も役者として成功していて、それを担保に筋の悪い所からお金を借りてしまったんでしょうね。まったく見に覚えのない書類なんですが、私が連帯保証人になっていた」(淳子さん)

 忍と共に、母も働いた。スナックを明け方に終えると、朝5時には家政婦のバイトへ。午後はスーパーのパートをし、夜はまたスナックに。兄も大学をやめて働き始めた。3人が懸命に日々を送るうち、気付くと、借金問題も解決していた。

 借金を残して逃げたはずの夫を、淳子さんは、今も愛情を込めて「パパ」と呼ぶ。別れたあとも、元夫とは連絡を取っていたと打ち明ける。その元夫は、2年前に他界した。だが
、「僕はファザコン」と公言する忍は、父の亡きがらに対面する日の朝「やっぱりオレはいいや」と拒んだ。その溝が埋まるのは、もう少し時間が経ってからだった。
 
 借金取りに追われる日々、寝る時間を削って子供を守った母。「嫌いで別れたわけじゃない」と父を愛し続けることで、息子たちが大好きだった父も守った母。いつもブレないその姿を忍は見て育ち、それが役者としての一本の軸となった。今日も母は、スナックのカウンターの中に立つ。

「お客さんが来なくても、私が死ぬまでお店だけは面倒見てくれるって、忍が言ってくれたんです。(カウンターに置かれていたヴィトンのバッグを抱き)忍は私がギャラを勝手に使ったみたいに話していますが、本当はね、これちゃんとした誕生日プレゼントなんですよ」

2月1日、東京・渋谷の書店で行われた、『偽悪のすすめ』(講談社刊)の出版記念サイン会前、忍は「『客が来なくても僕が守ってくれる』って!? 全然よくないですよ。ちゃんとお客さんに来てもらわないと」と笑った。

「(父親の)死に目に合わなかったのは、大好きだった親父が大嫌いになって、恨みに思うことを利用してがんばってこられた部分もあったから、ずっと“恨み”のままでいいと思ったから。でも、去年、墓参りをしたことで、親父への気持ちも和らぎました」

父・勝也さんのことを忍は、「ルールの円があれば、一般の人はそこに収まろうとするもの。親父はそこをはみ出した人」だったと語る。そして、こう続けた。

「ボクみたいな、大きな事務所の所属をいやがる面倒くさい気質は、間違いなく親父の血を受け継いでいます。母親からは我慢強さを受け継いだと思います」

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