「子供のころは、よくカキの養殖の手伝いをしてくれました。小学4年生くらいから昨年の大学卒業までね。大学時代は休みに帰って来て、私が仕事してると『手伝おうか』と言って。本当に優しい子なんです」
そう話すのは、“角界の新プリンス”遠藤(23)の父方の祖父・勇さん(73)。遠藤の実家は石川県の穴水湾に面した集落にある。カキ養殖を手伝ってくれた孫との思い出を、祖父は目を細めて語った。
「聖大(しょうた・遠藤の本名)はカキが大好きで、海水につけてそのまま食べていたね。お正月なんか、大きな丼に生ガキを入れて出すと、酢醤油で半分くらい1人で食べていたし、小学生のときも20個以上はペロッと食べていたよ」
幼いころから食欲旺盛だったようで、海のミルクだけではなく中学時代には丼5杯のご飯を食べ、牛乳も毎日1リットルは飲んでいたという。
「金沢市の中学に行ったので、たまに帰って来ると家族でおすし屋さんに行きました。聖大はトロばっかり何十貫も食べるんですよ。一度に2貫ずつ口に放り込んで、最高で30貫は食べたから、家族で6万~7万はかかったかな(笑)。私の手伝いで、漁船にも乗ってくれました。小学4年生のとき、カキを入れた40キロ以上もあるカゴを船の上でも、陸に上がってからも運んでくれました」(勇さん・以下同)
まさに、気は優しくて力持ちの遠藤だが、実は子供のころは泣き虫だったという。
「小学1年生のころ、近所の女の子とケンカして、口ゲンカで負けては泣いてたくらい気弱な子やったね。体格がいいから、ブタとかデブとか言われたりしたのが原因らしいんですが……。メソメソしていた子なので、両親も強くなってほしいと相撲をさせたんやろうね」
母方の祖父が相撲が強かったこともあって、両親は息子に相撲を半ば強制的に習わせた。小学校に入った5月に相撲教室に通い始め、11月にはもう、全国大会1年生の部で3位となる。しかし遠藤は大の練習嫌い。そんな遠藤が相撲に本気で取り組むようになったきっかけは、小学6年生のときに大相撲の巡業があり、朝青龍に声をかけられたことだという。
「『おい、相撲好きか? 相撲したかったら東京に来いよ。部屋に来いよ』と肩をたたかれながら、誘われたんです。それから、朝青龍関の相撲を目の当たりにして、相撲が好きになったらしいです。その朝青龍関が大関、横綱と一気に上がっていったこともあって、関心を持ったんじゃないですかね」
また最後に、こんな秘話も語ってくれた。
「私たち家族は、聖大が(大卒後)教員になることを期待していました。それで、本人も教員免許を取って免許状も見せてもらったから、てっきり教師になるものと……。ところが大学4年のとき、国体が終わりアマチュア横綱になって、幕下10枚目で出場できる資格をもらったら、監督やコーチなどに『もったいないから、2年でも3年でもいいからチャレンジしてこい』と言われ、それで角界入りを決めたようです」