11月28日、転移性肝がんによる肝不全のため亡くなった菅原文太さん(享年81)。家族ぐるみで30年来の付き合いがある長野県川上村の藤原忠彦村長(75)は、晩年つねに文子夫人(72)と一緒だった文太さんの姿を思い出すと話してくれた。

「携帯電話も2人で1台でした。文太さんは、『文太と文子で1字しか違わねえし、電話も1台でいいじゃねえか』と(笑)。文太さんは余命告知をされてなかったと思います。おそらく、文子さんは文太さんに“本当の病状”は隠していたんでしょう」

 その言葉どおり、文太さんは急逝1カ月前の11月1日、沖縄市長選で米軍基地の県外移設を訴えた翁長雄志候補(62・その後当選)の応援演説に立った。そのとき、対立候補に向けて「弾はまだ一発残っとるがよ」と映画『仁義なき戦い』の名ゼリフを不敵につぶやき大喝采を浴びた。だが、すでに身体は限界だった。

「じつは私も同じ日に沖縄に行ってまして……。夜、羽田空港への最終便に乗ったら、偶然にも前の席が文太さんだったんです。文太さんはマスクをつけ、いつになく疲れた印象でした。顔には黄疸が出て、むくみもあったようです。機内食も摂らず、トイレにも行かない。文子さんが毛布をかけ、つきっきりで心配そうにされていました」(前出・藤原さん)

 どんな仕事でも文太さんは文子夫人を同行するのがつねだったという。2人が結婚したのは66年。彼が東映に移籍し、『不良番長シリーズ』で急に忙しくなった時期だった。

「結婚は年賀状で知りました。誰にも相談せず、式も挙げなかったそうです。8月に長女が生まれたから“デキ婚”でしたね」と元映画担当記者は言う。文太さんが唯一、頭が上がらなかったのが、文子夫人だった。03年の本誌インタビューでも彼はこう明かしている。

「ここ(農場)でも仕事の上でも、女房が社長で俺は使用人。“婦唱夫随”ってとこだな(笑)」

 雑誌『本の窓』(小学館)で、文太さんの連載対談を担当した岡靖司編集長も言う。

「夫人も読書家で控えめな方。表に出るようなタイプではありません。でも、文太さんと気持ちはひとつで、対談で反戦平和などがテーマになると、文子夫人も熱く語られることがありました。ご夫婦の愛を強く感じました」

 男気あふれる名優は、最後まで“家族への愛”を忘れなかった。

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