「昨年の12月19日。郡山から車で1時間ほどの福島県双葉郡葛尾村へ行って驚きました。葛尾村は東京電力福島第一原発から30キロぐらい離れています。行ってみると、バリケードやゲートで閉鎖されていて、そこから先には進めないという場所に行き当たりました……」
吉永小百合さんはそう振り返る。彼女が訪れた葛尾村は、帰宅困難区域に指定され、いまだ全村避難の状態が続いている地域だ。東日本大震災から4年が経った今年3月11日、福島の人々の詩を吉永さんが朗読したCD『第二楽章 福島への思い』が発売。この収録に先立ち、彼女は葛尾村を訪れたのだ。
「葛尾村は村ごと福島県田村郡三春町に避難していて、町の谷みたいなところに、葛尾村のみなさんが暮す仮設住宅が建ち並んでいました。本来ならとても美しい自然のなかで、大きな家に住んでいるはずの人たちが、東日本大震災から4年たったいまも仮設住宅で不自由な避難生活を余儀なくされている。そのことに、あらためてショックを受けました」
彼女が被災地を最初に訪れたのは大震災の2カ月後。その後、原爆詩の朗読会や、CM撮影などで、これまで何度も被災地を訪れてきた。
「東日本大震災では、現在も行方不明の方も含めると犠牲になった方は2万人近く。いまなお故郷を離れて避難生活を余儀なくされている方が、福島県だけで12万人近くいらっしゃいます。政府は『原子炉はコントロール下にある』と明言していますが、状況は事故発生当時とほとんど変わっていないのが実情ではないでしょうか。しかも、原子炉を廃炉にするには最短でも40年はかかるそうです。それまで避難生活を続けている人たちの生活は、どうなるのでしょうか……」
さらに吉永さん自身は自戒を込めてこう訴える。
「原子力については、これまで”平和利用”という心地のいい言葉が使われてきました。私も、どこかで怖いと思いながらも、原発を受け入れてきました。でも4年前の事故で、心から”さよなら原発”を願うようになったのです。地震が多発する、しかも、近未来に大地震も予想されているこの国に、はたして原発が存在していいのか。また、このままでは福島第一原発のような大惨事が繰り返されることになるのではないか……。経済よりも、最優先すべきは人間の命、そして、人々の生活だと、私は考えますし、政府には被災された方たちに、もっと救いの手を差し伸べてほしいと思います」