《中山秀征の語り合いたい人》、今回は’02年に世田谷パブリックシアターの芸術監督就任以来、「古典と現代の融合」「レパートリーの創造」を指針として掲げてきた狂言師・野村萬斎さん(49)。青春時代の経験を語った。
中山「学生時代はバスケットボールやバンドなどもやっていたんですよね?お家柄上、継がないといけないということもありながら、『エレキギターで生きていくんだ!』みたいなことはなかったんですか?」
野村「そりゃ思ってましたよ!狂言をやっているより、ロックをやっていたほうがモテるじゃないですか(笑)。僕はそこまで意識していなかったんですけど、妹は『モテたいこと、片っ端からやってたよね』と分析していましたね。サーフィンがはやったときには、すぐ手をつけましたしね。中学のときはビートルズ、高校のときはヘビーメタルをやってましたよ」
中山「ヘビーメタルは意外ですね!(笑) あまり知られていない一面ですね」
野村「そういう自分の過激さが、いろんな意味で挑戦するファイトになっている気はします。ただ、マイケル・ジャクソンのような世界一のエンターティナーを見たときに『俺の指の回らないギターではかなわない』と身の丈に気付くんです。僕が彼らに対抗できることは、やっぱり狂言なんですよね、僕が表現者として彼らの猿まねをするよりも、狂言こそが僕の武器だって気付いたんですね」
中山「17歳のときには、黒澤明監督の『乱』にも出演されていますよね?」
野村「狂言をやっていたからこそ、世界の黒澤映画に出られた。これは大きな節目でした。それまでは伝統を押し付けられていた気がしていたんです。型をまねるだけなので、表現者だという認識が持てなかったんですね。でも、僕の技能は狂言で、大志を抱けば、世界に通用する表現者になれるのだと、高校生のときに自己認識が持てたんですね」