『笑点』のオレンジの着物でおなじみ、林家たい平師匠(50)。今回、《中山秀征の語り合いたい人》は、美大卒業後、就職せずに落語界に飛び込み、父親に勘当されたというたい平師匠が、その異色の経歴を語ってくれた。

中山「たい平師匠は落語家としては珍しい経歴をお持ちですよね。武蔵野美術大学ご出身ですが、どうしてまた落語の世界にお入りになったんですか?」

たい平「僕が中3のときに『3年B組金八先生』(TBS系)が始まって、教師になりたいと思っていたんです。高3のとき『お前は勉強はイマイチだけど、絵は描ける。俺と同じ美術の教師という道もあるぞ』と担任の先生にアドバイスされ、予備校に通って、合格できたんです」

中山「へぇ〜、教師志望だったんですね」

たい平「入学したらデザインの世界が楽しくなりましたし、教職課程をとっている時間がないほど課題が多いので、教師は無理だと簡単に挫折しましたけどね(笑)」

中山「落語研究会に入られるんですよね?」

たい平「『美大で落研って……』と思って部室をのぞいてみたら、4人の先輩がこたつに入っていて『去年も新入生が入らなかったし、今年も見込みはない。華々しく落研を廃部させるイベントの相談をしている』って言うんです」

中山「え、もう終わるって?」

たい平「『こたつに入れば?こたつには入れるけど、落研には入れないから心配しないで』って。『僕が入部したら廃部しないんですよね?』と言っても、『そうなんだけど、大丈夫だから』って取り付く島もない。それが逆にいいな、と思って『入部してもいいですか?』と自分から申し出たんです。それで『廃部の危機を救いたくないですか!?』と熱弁をふるって、新入生を13人勧誘して、廃部の危機を救ってしまった。その功績で、落語を聞いたこともないのに、副部長になってしまって……」

中山「それはすごい!美大の落研って、普通の大学の落研とまた違いそうですよね」

たい平「先輩後輩の関係も厳しくないし、部室で課題やったり、お好み焼きを焼いたり。落語の話はほとんどしないんですよ。稽古はしないくせに、ステージ作りはみんな張り切るんです。絵はみんな得意だから、客席一面に顔を描いたり、プロレスのリングを作って、その中に座布団を置いて高座にしたり。僕は友達と漫才やコントをやっていました」

中山「初めて落語に向き合ったのは?」

たい平「大学3年のとき、ラジオをつけっぱなしで課題を描いていると、落語の番組が始まった。『うわ、落語か。陰気な感じのおじいさんがボソボソしゃべって、小難しいよな』と思いながら作業していたら、ドンドン引き込まれまして。途中からは絵を描くのをやめて、ゲラゲラ笑って『こんなに面白いんだ!スッゲェな!』って感動したんですよ。落研なのに」

中山「進路を決める際には、もう落語家になろうと決意していたんですか?」

たい平「日本各所で落語を聞いてもらって、自分が落語家に向いてるのか見極めようと思ったんです。青春18きっぷを買って、ふんどしを締めて、着物を着て、風呂敷包みを持って、落語を聞いてもらう活動をはじめたんです」

中山「うわー!!それは面白いですね」

たい平「上野から旅立って、5日間は恥ずかしくて何もできなかった。仙台に着いてやっと県庁や市役所に行って、老人ホームの電話番号を教えてもらいました。『落語を聞いてもらえないですか』と片っ端から連絡したんです」

中山「受け入れてくれるところは?」

たい平「仙台や石巻の老人ホームで。石巻では、学生が来ると知ったおばあちゃんが約20年ぶりに三味線を持ち出して、楽しそうに弾いてくれたんです。館長さんが『こんな生き生きとした姿を初めて見た』と喜んでくれました。素敵な笑顔をたくさんもらって、『落語家ってなんていい仕事なんだろう』と思って、落語家になろうと決めたんです」