「私は人に笑顔を届ける仕事をしていますから、プライベートを明かしたりすることで勝負したくないんです。母親について話すこと自体が、今回初めてなんです」

 そう話すのは、綾小路きみまろ(64)。最愛の母・キミ子さんが、この1月にじつは急逝していた――。

「母は8年間、故郷・鹿児島の老人ホームに入っていました。90歳でしたので、大往生かもしれませんね。糖尿病からくる多臓器不全でした。かなり病状が悪化してきたときに、終末期医療に入るために『点滴の管を抜いていいか』と、病院から同意を求められまして……。ずいぶん悩みましたが、母をこれ以上苦しませたくないと思って同意しました」

 その後2カ月以上、キミ子さんは昏睡状態が続いたという。亡くなった当日は、四国でステージに上がっていた。

「年間、100日以上はいろんな地方に行って舞台に立っていますから、親の死に目に会えないことは覚悟していたんです。ですから、あの翌日がたまたまオフだったのは、せめてもの救いでしたね。交通機関を乗り継いで、8時間かけて翌日、鹿児島に帰り着きました。母に対面したときは、『そばにいてあげられなくてごめんな』と、涙が止まりませんでしたよ……。顔を見ながら、“いままで心配かけたなあ”“もうちょっと親孝行してあげられれば”と、いろいろな思いが去来しました。もっとたくさん話すことがあったんじゃないかと、後悔はありますね」

 52歳でブレイクするまで、長い下積み時代を過ごした、きみまろ。

「実家に帰ることもままならず、両親とのやりとりはもっぱら手紙でした。母の手紙にはいつも『真面目にやれ。人として間違いだけはするな』と書いてありました。あとは、夜尿症の心配です(笑)。私はわりと大きくなるまでおねしょが残っていたので、東京に出ても母は『おねしょは大丈夫か』と、いつも心配していました。母が亡くなって、遺品の整理をしていたら、私が書いた手紙を全部きれいにとってあったんですよ。誕生日や母の日にあげた洋服や肌着なんかのプレゼントも、全部、一回も袖を通さず大切に箱に入れてとってありました……。思わず、胸が詰まりましたね」

 遅咲きのブレイクを果たした息子を、キミ子さんは、さぞ誇らしかったに違いない。9月18日に放送される、きみまろ初のプロデュース特番『綾小路きみまろのキミに逢いたい!』(テレビ東京系・夜6時58分~)。ここで、ビートたけし(68)と念願の初共演ライブを披露するきみまろは、いまもステージで漫談を繰り広げながら、ふと母の顔が浮かぶことがあるという。

「母にも、この番組を見てもらいたかったなあ」

 そう言うと、きみまろはぽろりと涙をこぼした――。

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