9月9日の夕方6時過ぎ。激しい雨が降るなか、都内の英語教室に車でやってきたのは、つんく♂(46)。この教室には、彼の双子の長男(7)と長女(7)が通っている。この日は、パパ自ら迎えに来たようだ。

 授業が終わると教室への階段を上がっていく。双子の子供たちは、元気にはしゃぎ回りパパの元へ。やがて、先に子供たちが車のほうへ向かわせると、つんく♂はひとり教室に残って先生と“談笑”し始めた。それも筆談ではなく、身振り手振りを交えたジェスチャーでコミュニケーションをとっているのだ。

 そうして先生に挨拶をすませると、彼は子供たちの待つ車に乗り込み一緒に帰宅の途に就いた――。

 その翌日、つんく♂の手記『だから、生きる。』(新潮社刊)が発売された。本書には喉頭がんの発症から声帯摘出手術を受けて声を失った苦悩、そしてハロプロの総合プロデューサーを卒業していたことなどが綴られていた。

これまでは“仕事人間”で家族よりも音楽へと一心不乱に打ち込んできたつんく♂。だが、病魔がその仕事の機会を奪っていった。絶望の淵に立たされるなか、支えてくれたのは家族だった。愛する妻、そして双子や次女(4)らと向き合うことで、彼は“家族との時間”を何よりも大切にするようになっていったのだ。

《ゴルフも飲みにも行かなくなって趣味とかなくって退屈じゃないんですか? と聞かれることがあるけれど、そんなこと思ったこともない。とにかく時間が足りない。子供の成長に追いつかない》(著書『だから、生きる。』より、以下同)
 
実際、本誌はつんく♂が子供たちのサッカー練習の送り迎えをするなど、必死に父親としての責務を果たそうとする姿をたびたび目撃してきた。そしてこの日も大雨にもかかわらず、英語教室に子供たちを車で迎えに来た。子供たちのために一生懸命頑張るその姿は「子供たちが僕を支えてる……」という今の彼の思いそのものだった。

「つんく♂さんが声帯摘出をしたのは昨年10月。以来、声帯の代わりに食道の一部を振動させる食道発声法のトレーニングを続けてきたお陰で、声を出せるようにはなってきたそうです。それでも細かいコミュニケーションをとることは難しい。そのため彼はLINEやジェスチャーなどを使って思いを伝えています。3人の子供たちも、そうしたパパとの“愛の会話”をこれまで以上に受け止めようとしているそうです」(親しい音楽関係者)
 
前出の著書で、つんくは家族という存在についてこう綴っている。

《三人の子供たちは、僕を本物の「大人」にしてくれた。守るべきものがいる――これはこの世の中で何よりも幸せなことなのではないか、と感じている。(中略)子供たちに「ああ、やっぱお父さんはかっこいいよ」って思ってもらわないと!僕は、そんな気持ちでこれからも闘っていく》

 これからも、彼は“満点パパ”として子供たちと寄り添って前に進んでいくことだろう――。

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