加賀まりこさん(71)の住む神楽坂にある、とあるホテルで久しぶりに再開した2人。隔週連載《中山秀征の語り合いたい人》。今回は、50年以上女優を続けてきた加賀まりこさん。語り合うなかから、いまでも“新しいこと”に飛び込むことができる秘訣が見えてきた。

中山「デビューして、50年以上ですか」

加賀「昭和37年だから、今は昭和……私、ずっと昭和で計算してるの。いまは昭和90年だから53年目」

中山「それは斬新な(笑)。芸能界に入る最初のきっかけはなんでしょう?」

加賀「『涙を、獅子のたて髪に』っていう寺山修司さん作、篠田正浩監督の映画。おふたりが神楽坂にいらっしゃって、なかなか女優が決まらず困り果てているなかで、私に突然『ちょっと話を聞いてくれませんか』って。私は父親が大映のプロデューサーで、映画界の人をなんとなく知ってはいたけど、その話にはさすがに驚いて。私自身、役者さんを見てうらやましいとも、女優をやるとも思っていなかったし。生意気だったからね(笑)。でも父に話したら『あなたでお役に立つなら、やってあげなさい』と言われたの」

中山「劇団に入っていたり、稽古をしたわけではなく、突然の女優デビューを」

加賀「そんなことから始まった女優生活で、ちゃんと1から勉強をしようと思ったのは昭和40年、劇団四季の『オンディーヌ』。パリにいたんですが、浅利慶太さんから当時としては珍しい国際電話がかかってきて『出ませんか?』と。私は仕事を辞めようと思っていたから待っていただいて、家に電話したら、演劇少女だった姉に『あなたにできるわけないでしょ。男性だったらハムレットくらい大変な役』と言われ、よし、やってやろうじゃないの!と」

中山「プレッシャーはなかったんですか?」

加賀「どう頑張ってものどからしか声が出なくて、ちゃんと基礎からやらないといけないと、劇団四季の研究生になりました」

中山「そこから身につけていくんですね」

加賀「チケット代をもらっているのに失礼ですけど、『オンディーヌ』の上演中だったから、教室で教わったことを夜に実践していました。21歳の若さで毎日レッスンと本番をやったのは本当に身につきましたね」

中山「その直前まで、仕事を辞めようとパリへ行かれていたとは思えない展開です」

加賀「本当にあのころの映画の現場はハンパじゃなくて、常に2〜3本は同時進行。ふと母に聞いたらびっくりするくらいの貯金額になっていて。仕事を辞めるにはこれをきれいに使いきらないといけないと思ったの。マンションでも買おうと思わないところが私よね。ゼロにしにパリへ言って。浅利さんの電話がなかったらもっといたと思う。ロンドンのカジノも行っていて、東洋の女のコが勝っていると目立ってしょうがないのに、そんなことも考えずにガンガン勝っちゃたり(笑)」

中山「お金を使いに海外へ行ったのに、また増えてしまったと(笑)」

加賀「本当にそんなものよ。たとえば、ここで国際女優として一発当てようなんて下心があるとうまくいかないって言うでしょ。『ハムレット』のロンドン公演のときに、私はのびのびとやれるじゃないって思っていたら、次の日に演出の蜷川幸雄さんが機嫌悪そうに現地の新聞投げるから、何だろうって思って見たら、私だけ褒められていたの。人生ってそんなものだなって、気負いがない方がうまくいく。だって、ご褒美なんていうのは結果だから」

中山「でも面白いですね。欲がないからこそなのか、すべていい方向に進んでいく」

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