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昼間の夏のような暑さが、いくぶん涼しくなった夕方ころ、横浜市内にある三階建て住宅からエプロン姿の女性が現れた。噺家・桂歌丸(79)の妻・冨士子さんだ。歌丸師匠(79)が50年にわたって出演していた『笑点』(日本テレビ系)の司会引退を電撃発表し、世間を驚かせたのは4月30日。それから1週間、本誌が彼女を目撃した5月5日も、歌丸師匠は新宿末広亭で昼の部のトリを務めていた。

冨士子さんは、夫の帰宅を迎えるために玄関から出てきたようだ。そわそわしながら道を見つめていたが、体調不安を抱えながらも高座に上がった夫がよほど心配なのだろうか。 笑点の大喜利では何十年も“鬼嫁”の代名詞として扱われてきた冨士子さん。だが本誌が見た彼女は鬼嫁どころか、夫の帰りを案じながら待ちわびる“尽くす妻”だったのだ。

 

――歌丸師匠が、笑点からの勇退を発表されましたが、奥様も大変お疲れ様でした。

「ああ、はいはい、ありがとうございます」

本誌記者の問いかけに一瞬驚いた表情を見せたものの、冨士子さんはにこやかに答えてくれた。

――師匠から、笑点の司会をお辞めになることを聞いたのは、いつごろでしたか?

「そうですね。実はそれほど前のことではないんですよ。今年3月ごろだったでしょうか。本人から『辞めることにしたんだ』と報告を受けました。もう50年も笑点に出演していましたからね。私からは『ご苦労さま』と……」

 

冨士子さんが歌丸師匠と結婚したのは’57年。2人はご近所同士だったが、駆け出しの噺家との結婚に、冨士子さんの家族は大反対したという。苦労かけ通しだった冨士子さんに、歌丸師匠はいまでも頭が上がらない。

 

――笑点卒業にあたり、師匠から冨士子さんには、何かねぎらいのお言葉はありましたか?

「そういう言葉は、別にないですけれど、言われなくてもわかっているからいいですよ(笑)。卒業のお祝いですか?これから家族みんなと相談しますが、(横浜の)中華街でも行くんじゃないかと思っています。(夫は)中華が好きなんで、一門の新年会も中華街でやるんです」

 

食べ物の話になったとき、冨士子さんの表情が微妙に曇った。

 

「もともと好き嫌いが激しいほうなのですが、体調を崩してからあまり食べられなくなって……。いままで好きだったものでも全然食べられなくなったりね。昔は、てんぷらとか揚げ物が大好きだったんですよ。魚屋さんにお願いするとネタを届けてくれるから、それでかき揚げを作ってあげていました。表ではそういうのはあまり食べないけど、家でちゃんと作ると食べてくれるんです。今でも、かき揚げは喜んで食べてくれます。あっ、すみません、いま私は(夫を)迎えに出ているのですけれども、もう帰ってくるみたいです」

 

冨士子さんの言うとおり、すぐに師匠を乗せた車が、家の付近で停まった。夫の荷物をさっと持つと、玄関に向かう冨士子さん。その後に杖を持った師匠が続く。そこには59年連れ添った夫婦の阿吽の呼吸があった。

 

大喜利で冨士子さんネタが見られなくなるのは残念だが、師匠には冨士子さん手作りのかき揚げで元気になってもらって、2人で来年の結婚60周年を祝ってほしい。

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