「きちんと仕事をしてほしい」と苦言を呈し続けたが……。 画像を見る

両国国技館で、土俵に向かって盛んに声援をおくっていたのは女優・中村玉緒(79)だった。元女優でいまは中村の個人事務所社長を務めている長女や友人たちと取り組みが終わるごとに楽しげに話し合っていた。ある舞台関係者は言う。

 

「玉緒さんはこの7月に80歳の誕生日をむかえます。直前の6月には3年ぶりの舞台に出演予定。大阪の新歌舞伎座で3週間にわたり松平健さんや川中美幸さんたちと共演します」

 

中村が相撲観戦をしていたのは5月中旬。国技館の座席では笑顔を絶やさなかった彼女だが、実は深い悩みを抱えているという。

 

「実はこの2年間ほど、長男の鴈龍太郎(54)と絶縁状態にあるのです。鴈に“縁切り”を申し渡したのは、玉緒さんでした」(中村の古くからの知人)

 

鴈龍太郎は、昭和の大スター勝新太郎さんと人気女優の中村の間に生まれ、“芸能界のサラブレッド”として注目されていたこともある。勝さんは一人息子に期待し、ときには愛情深く、ときには厳しく指導していたのだ。だが名優から英才教育を受けるようになってから30年余り、その息子の才能が開花することはなかった。

 

「思えば彼も不運でした。デビュー作は勝さんが監督も務めた映画『座頭市』(’89年公開)。しかし映画撮影中に共演俳優に重傷を負わせ、その後、死亡してしまうという事件が起きたのです。さらに’97年には、息子の行く末を心配しながら、勝さんが65歳で逝去してしまいました」(前出・中村の知人)

 

勝さん亡きあとは、中村玉緒が遺志を継ぎ、鴈を“一人前の俳優”にすべく、尽力したという。

 

「バラエティ番組で共演したり、自分が出演する舞台のプロデューサーに頼み込んで、鴈にも役をもらってあげたりしていました。鴈にも“父の名に恥じないような俳優になりたい”という気持ちはあったようですが、プライドも高く、“使いやすい俳優”ではなかったと聞いています。また玉緒さんの経済的援助があるので、生活にも困らなかったために、やる気も長続きはしなかったようです」(前出・舞台関係者)

 

中村は“母としての葛藤”をインタビューで明かしている。

 

《私はちょっと贅沢をさせて、(子供たちの)育て方を間違えたかもしれません。でも、私にとっては、大事な子供たちです。娘はいちど結婚してすぐ離婚しましたし、息子もまだ独身ですが、早くいい嫁さんに来てもらって、孫の顔が見たいですね》(『婦人公論』’06年1月22日号)

 

だが前出の中村の知人は言う。

 

「何十年も『きちんと仕事をしてほしい』と、息子に苦言を呈し続けていた玉緒さんも80歳という年齢が近づき、苦渋の決断を下さざるをえなくなったのです。鴈は’17年に2年ぶりに舞台に出演しましたが、その後は働くそぶりを見せませんでした。玉緒さんは『私が面倒をみているかぎり、あの子が立ち直ることはない』と考え、長女とも相談したうえで鴈を絶縁し、経済的援助を打ち切ったそうです」

 

中村は、具体的にはどのような形で絶縁を切り出したのか? 両国国技館から帰宅した中村に息子との関係について直撃したのだが、“鴈龍太郎”の名前を聞いた中村は口をつぐんでしまい、同伴していた長女が「親子関係は悪くないです。それにプライベートのことですので」と、答えただけで、自宅に入っていった。

 

その後、中村と鴈の双方の所属事務所に連絡を試みたが、担当者からの返事はなかったのだ。前出の舞台関係者は言う。

 

「3年以上にわたり、玉緒さんと鴈のイベントや舞台での共演が絶えているのは事実です。また玉緒さんが6月に出演する舞台にも鴈は出演しません。以前でしたら、玉緒さんが“親子共演”を望んだでしょうが……」

 

果たして鴈が心機一転して“悪名”を払拭し、母と息子の関係が修復する日は来るのか。

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