「小学3年生のときに父が亡くなってからは、母が1人で働いて育ててくれました。決して裕福ではないなか、16歳のときには、フロリダのディズニーワールドへ連れていってくれて……」(’19年9月17日号)
毎年“貯金をはたいて”、母娘で旅行を楽しむことが、中川家のルールだったのだ。中川は少女時代に、いじめを受けて不登校を経験するなど、苦悩の日々を過ごした。繊細な中川にとって、母が働いている店は、ずっと居心地のいい場所でもあったようだ。Mの客たちはこう証言する。
「翔子ちゃんが20歳ごろだったかな、お店で何か勉強をしている姿を見たことがあります」(テレビ局関係者)
「しょこたんがまだ有名でないころ、よくMに来ていました。店では無口なんだけど、お母さんに誘われてアニメソングをカラオケで歌ったりね。ブレークしてからも、ときどき遊びに来ていましたから、彼女にとってもMは思い出深い店のはず。クローズはつらいでしょうね」(前出・出版関係者)
なぜ桂子さんは、愛着も深いMを閉めることを決意したのだろうか? 電話で取材を申し込むと、ためらいながらも記者の質問に答えてくれた。