当時、伊勢谷は東京藝術大学美術学部デザイン科に在学中だった。

 

「伊勢谷くんがデザインの勉強をしていたのは、兄・寛斎に憧れてのことだったと聞いています。兄は自分と同じように芸術を志す者として、伊勢谷くんを応援していました。それは彼が芸能界に進んでからもずっと変わりませんでしたね。兄弟の絆は、病室での最後のやり取りにも表れていると思います」

 

実は寛斎さんは伊勢谷との舞台共演も考えていたようだ。『AERA』(’17年7月10日号)で2人はいっしょにグラビア記事に登場しているが、寛斎さんが伊勢谷に《来年、イギリスで舞台を一緒にやりましょう》と呼びかける様子も記載されている。

 

結局、何らかの事情で“イギリスでの兄弟共演”は実現しなかったが、寛斎さんは、どのような舞台を構想していたのだろうか?

 

「私の業務はライセンス管理がメインですので、舞台計画などの詳細は把握していないのですが、おそらくファッションイベントのようなものを伊勢谷くんとやりたいと考えていたのではないでしょうか」(斎彦氏)

 

伊勢谷が追悼文で《やりきる人生、命を使い切る人生》と、表現したように、芸術に命を燃やし尽くした寛斎さん。しかし、もし心残りがあったとしたら、弟・伊勢谷との舞台共演の夢が叶わなかったことなのかもしれない。

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