寛一郎は浩市への相反した思いをインタビューでこう打ち明けていた。
《僕にとって彼(佐藤浩市)は、一番好きで一番嫌いな存在でもあるわけです。そんな感情の中で対峙する。果たして僕の力は彼と対峙できるくらいのレベルに達しているのか? と。僕としては自分の未熟さと経験値の圧倒的な足りなさを自覚しているので》(『日刊SPA!』11月21日)
自身も名優・三國連太郎さん(享年90)のもとに生まれ、長きにわたる確執も経験してきた浩市。誰よりも“2世の苦しみ”がわかるだけに、日々悩みながら奮闘する息子のことはあたたかく見守っているようだ。
「寛一郎さんと初共演した『一度も撃ってません』の会見で浩市さんは、『NGを出して冷ややかな目で見られてしまった』と茶化していましたが、本心ではとても喜んでいたそうです。幼少期に寛一郎さんを撮影現場へ連れて行ったのも、浩市さんも同じように連太郎さんに連れていってもらった経験があるから。18年に寛一郎さんがデビュー映画で、キネマ旬報の賞を受賞した際は、すぐさまLINEで『おめでとう』と本人に伝えたそうです。寛一郎さんもそんな浩市さんの存在がとても刺激になっているといいます」(前出・佐藤の知人)
今年3月、本誌のインタビューで浩市は「役者になりたい」と打ち明けた寛一郎に投げかけた言葉をこう明かしていた。
「芸名に姓をつけたくない気持ちもわかる。だったら、将来自分が役者として何者かがわかったときには、つけろよ。お前が役者になるのに。反対する理由はない。だが、食えなかったら食えないで、しょうがないと思え」
あたたかくも厳しい父の言葉を胸に、寛一郎の役者道はこれからも続いていく――。