京都の一般家庭に育った三田は、『Seventeen』のモデルに合格し14歳で上京。芝翫との結婚で初めて梨園と関わり、生まれた環境とあまりの違いに戸惑ったと6年前の本誌インタビューで語っている。
《主人は歌舞伎役者が天職だと思って精進を重ねている。そんな彼と結婚したからには、私も「歌舞伎役者の妻が天職です」と言えるようにがんばろうと思いました。亡くなったお父様から教えていただいたのは、照明から舞台側は役者の仕事。客席側はすべて妻の仕事だ、と。
ですから、舞台にかかりきりの主人の名代として、ご贔屓筋をはじめ見にきてくださったお客様へのご挨拶、ご案内、ご接待、お礼、お見送り…といったこともすべて私の務めです。結婚してからずっとオンの状態が続いていて、オフはないですね》
義母・雅子さんから手取り足取り、梨園のすべてを教えてもらったという三田。男児3人をもうけ、梨園妻の大役も果たした。そんな三田が4年前とは違い、今回は謝罪会見を開かなかった。前出の歌舞伎関係者が言う。
「4年前の謝罪会見の際、彼女が気丈に笑顔を見せたのは、相手も玄人さんだし、“ただのお遊び”と割り切れたからだそうです。ただ、今回は違います。相手は素人で、しかも寛子さんも知っている贔屓筋。結婚記念日に京都で密会していたことも、信じられなかったそうです」
芸妓ではなく、一般女性に揺らいだ芝翫。そこに“遊び”ではない“本気”を見て取った三田は、夫への不信感を強く抱くようになったというのだ。
「寛子さんにとって、今回の不倫のほうがはるかに嫌なんですよ。梨園の妻として本来、頭を下げるべき贔屓筋の女性に夫が手を出したことに涙したようなんです。今回ばかりは自分が謝罪会見を開くなんてことは考えられなかったそうです。夫婦関係にはかなりの亀裂が生じているんじゃないでしょうか」(前出・後援会関係者)
「女性自身」2021年2月2日号 掲載