三浦春馬さん実父急逝…伯父が明かした「参列者1人の密葬」
画像を見る 06年の『14才の母』出演で一躍ブレイク。

 

■「英国留学を切り上げて会いに来てくれた」

 

春馬さんの両親は彼が幼いころに離婚し、実父・Aさんは家を出た。さらに’17年ごろ、春馬さんは実母とも距離をとるようになったという。

 

「携帯電話の番号も変えて、お母さんからは連絡が取れないようにしたといいます。“絶縁”した理由については“母からたびたび無心されていた”“仕事や恋愛の問題で衝突した”などと報じられていました」(芸能関係者)

 

実母との絶縁と入れ替わるように、春馬さんが復活させたのは実父との交流だった。昨年12月、本誌の取材に対し、Aさんは息子との関係などについて、こう語っていた。

 

「“長い間絶縁していて、20年ぶりに再会した”とも報じられていますが、彼が芸能界デビューした後は、ときどき連絡はもらっていました。春馬の活躍ぶりはずっと楽しみでしたし、私の生きがいでもありました。

 

実際に会うようになったのは3年前(※’17年)ですね。そのとき春馬はロンドンに留学中でした。でも私が心臓の手術を受けるということ、私の命が長くないということを、人づてに聞いたそうです。それで留学を切り上げて、入院先の病院に会いにきてくれたのです。手術がうまくいって元気になった後には、いっしょに食事をしたり、酒も飲んだりするようになりました」

 

Aさんは、それほど飲まなかったようだが、息子が楽しそうにお酒を飲む姿を眺めることは、無上の喜びだったのだ。

 

「春馬もけっこう酒量は多かったですが、そんなに酔っ払うタイプではないし、飲んだ後は、きちんと電車で東京に帰っていきましたよ。ふだんはLINEとかで連絡を取り合っていて、実は亡くなる2週間前にもメッセージをやりとりしていました。近いうちにこちら(茨城県)に来るから、と言っていたのに……。それが最後のやりとりになってしまいました」

 

父子の会話のなかで、実母についての話題が出ることもあったという。

 

「この数年、(春馬は)母とは折り合いが悪く、本人も悩んでいるようでした。いくら母と子といっても、お金のことやら何やらで、もめていると聞いて、私も心配はしていたのですが……」

 

Aさんは、本誌の取材の最後にこんな言葉を言い残していた。

 

「これからの私は“春馬のいない残された時間”を、ただ生きていくだけです」

 

“春馬のいない時間”は、Aさんにとって意味のないものだったのだろうか。春馬さんが急逝してから半年、そして本誌が取材してからわずか1カ月で、Aさんは天国に旅立っていったのだ。

 

次ページ >生前のAさんが漏らしていた遺産相続問題の心労

関連カテゴリー:
関連タグ: