84年『涙のリクエスト』でブレークしたチェッカーズ 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にあこがれたアーティストの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

’81年、「ヤマハ・ライトミュージックコンテスト」のジュニア部門で最優秀賞を受賞し、’83年に『ギザギザハートの子守唄』でデビューしたチェッカーズ。

 

「今の若い世代には、『TRUE LOVE』(’93年)のインパクトが大きいため、ソロシンガーとしての藤井フミヤさんのイメージが強いかもしれません。しかし’80年代はチェッカーズとして、団塊ジュニア世代を中心に圧倒的な支持を集めていました」

 

そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。まず、見た目のインパクトに魅かれた人も多いはずだ。

 

「’70年代後半から’80年代前半にかけて、YMOの影響でテクノカットが流行したのですが、フミヤさんの長い前髪を垂らすアレンジを加えた“テクノ風”カットは、多くの男子がマネをしました」

 

チェッカーズが団塊ジュニアに与えた影響 みんな前髪を伸ばし始め…
画像を見る 男子がみんな真似したフミヤの前髪

 

中性的な、かわいいチェック柄の服装も目を引いた。

 

「チェッカーズを想起させる髪形やファッションを取り入れた『EAST BOY』というキャラクターグッズが、文房具などに使われ、女子たちに人気でした」

 

こうしたアイドル的人気は、本格的なバンドとしての活動、楽曲のよさがあってこそ。2枚目のシングル『涙のリクエスト』(’84年)で人気に火が付き、デビュー曲の『ギザギザハートの子守唄』、3枚目のシングル『哀しくてジェラシー』(’84年)も大ヒット。’84年5月17日放送の『ザ・ベストテン』で、3曲同時にランクインする快挙も達成した。

 

『とんねるずのみなさんのおかげです。』(’88〜’97年・フジテレビ系)ではコントにも挑戦するなど、チェッカーズは活躍の場を広げていった。

 

「サイドボーカルの高杢禎彦さんは俳優業に、鶴久政治さんはバラエティ番組でボケキャラとして場を和ませるなど、それぞれソロの活動も増えていきました」

 

’92年にグループは解散。再結成が望まれているが、’03年、高杢がフミヤとの確執などをつづった暴露本を出版。’04年にはドラマーの徳永善也さんが舌がんで亡くなり、オリジナルメンバーがそろうことはなくなった。しかしーー。

 

「“封印”されていた『ギザギザハートの子守唄』を、最近になってフミヤさんがテレビ番組で歌ったことが話題に。いま聞いてみると、メロディラインも洗練されていて、時代を超えて傑出した曲であることを再認識できます」

 

解散から30年近くたった現在も、ファンに求められ続けている。

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

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