■倫世夫人の誇り「一番の親友というのが私の役目」
メジャーのチームを渡り歩いた後、松坂は帰国し福岡ソフトバンクホークスに入団。倫世夫人と子供たちはアメリカに残ったため、“単身赴任”という形をとることとなった。日本球界へと復帰したものの、直後に右肩の筋肉疲労が判明。そして内視鏡手術を受けた。
「ホークスとは『3年12億円+出来高払い』という超大型契約を結んだものの、1球も投げないままシーズンを終えることに。『給料泥棒!』と揶揄するファンもおり、松坂さんは『もう二度と投げられなくなってしまう夢ばかり見るんです』と引退を示唆することもあったそうです」(球団関係者)
心が弱り、引退に傾く松坂ーー。そこで待ったをかけたのが倫世夫人だ。
「内視鏡手術を間近に控えたとき、倫世夫人は3人の子供とともにボストンの自宅から松坂さんのもとへと向かったそうです。そこで『今は苦しいだろうけど、最後まで悔いのないようにしなきゃ!』と背中を押したんです。その結果、松坂さんも奮起できたそうです」(後援会関係者)
その後、中日ドラゴンズに入団し、再び西武ライオンズに舞い戻った松坂。そして引退ーー。
彼を奮い立たせてきた姉さん女房は、ときに“恐妻”といわれることもあった。しかし、そこには「夫に栄光を」という強い思いがあったからなのだろう。
「松坂さんはプロ生活のなかで不調が続いたため、焦りもありました。それは『子どもたちに活躍している姿を見せていない』という焦りです。平成の怪物として名を馳せた姿を彼の子供たちは知りませんからね。そこで倫世夫人は“尻を叩いていた”ということなんです。
倫世夫人は松坂さんのパートナーであることを誇りに思っていて、『日本でもアメリカでも、彼の一番の親友というのが私の役目』と語っていました」(前出・スポーツ紙記者)
サポートしてくれてありがとう。その言葉に、倫世夫人の喜びもひとしおだろう。