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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう――。

 

「’60~’70年代、フォーリーブスの人気で頭角を表したジャニーズ事務所は、’80年代に入り飛躍的に成長。起爆剤となったのは、マッチこと近藤真彦さん、田原俊彦さん、野村義男さんの『たのきんトリオ』です。その絶大な人気が後に、光GENJIやSMAP、嵐といったアイドルグループを生み出す原動力になったのではないでしょうか」

 

そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。

 

’77年、近藤真彦が所属する少年野球チームの集合写真を見たジャニー喜多川氏が、小さく映る近藤の顔に丸印をつけたという逸話が残っている。

 

ジャニー氏に見いだされた近藤は、’79年、『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)の生徒役でデビューを飾り、オンエア直後から人気に火が付いた。

 

自宅の浴室で明菜が、不倫発覚で退所…近藤真彦の“やんちゃ”なアイドル人生
画像を見る 『金八先生』出演時は設定どおりの15歳、中学三年生

 

「トシちゃんは役柄でも、名取裕子さん演じる先生役に恋をしたり、純粋で真面目なイメージでしたが、マッチは対照的に不良でやんちゃ。バラエティ番組などでも、先輩芸能人にまで少し生意気な言葉遣いをするなど物おじしないところも、女子の心をつかんだのです。映画『ハイティーン・ブギ』(’82年)では、バイクとケンカにあけくれる役どころ。石原裕次郎的なスター要素も感じさせました」

 

一方、歌手としては’80年に『スニーカーぶる~す』でデビュー。4枚目のシングル『ギンギラギンにさりげなく』(’81年)で、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。

 

「当時、キンキラの衣装が似合う人は、西城秀樹さん、ジュリー、そしてマッチをおいて、ほかにはいなかったのでは(笑)。やんちゃなアイドル路線は『ホレたぜ!乾杯』(’82年)あたりまで。『ケジメなさい』(’84年)から少しずつ大人キャラへと移行し、『愚か者』(’87年)で完全に確立したといえるでしょう」

 

その人気にかげりが見え始めたのは、’89年7月、近藤宅の浴室で倒れていた中森明菜が病院に搬送された騒動から。その後に両者がそろって出席した“金屛風会見”にも批判が集まった。しかし--。

 

「’94年にトシちゃんが独立したこともあり、ジャニーズ事務所の長男的な存在となりました」

 

趣味が高じてレーシングチームを設立し、世界的レースでも優勝するなど活躍の場を広げた。

 

だが、歌手デビュー40周年を迎えた’20年、不倫が発覚。「できの悪い長男でした」と語り、ジャニーズ事務所を去ったのだった。

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

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