2013年、通夜で亡くなった相澤秀禎氏と対面する聖子の肩に沙也加さんが手を置いて 画像を見る

「本当に皆さん、お寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございました」。

 

12月21日、札幌市内で行われた神田沙也加さん(享年35)の葬儀後、報道陣の取材に応じた松田聖子(59)は声を震わせて、深々と頭を下げた。沙也加さんのお骨を納めた骨箱はピンクの骨袋に覆われて、聖子の隣に立つ神田正輝(71)の胸に抱えられていた。

 

沙也加さんと聖子の関係は、これまでさまざまに報じられてきた。だが、記者が2人の関係性を考えるとき、思い起こされる場面がある。

 

2013年5月。芸能プロダクション、サンミュージックの創業者である相澤秀禎氏(享年83)の通夜に、聖子と当時26歳だった沙也加さんが参列したときのことだ。

 

相澤氏は聖子にとって、芸能界の“育ての親”で大恩人。10代だった聖子はデビューのために福岡から上京し、相澤氏のもとで下宿生活をしていた時期もあった。‘89年に聖子がサンミュージックから独立して一時は絶縁状態になっていたが、’06年から再び交流を深めるようになっていた。

 

相澤氏は’11年の沙也加さんの10周年コンサートに聖子と並んで客席に姿を見せていたといい、沙也加さんにとっても縁のある存在だったようだ。

 

通夜の日、数々のスターを輩出した相澤氏だけあって、著名人や報道陣が多く集まった。聖子は夜8時ごろに参列に訪れたが、その隣にはぴったりと沙也加さんが寄り添っていた。

 

沙也加さんと聖子は、しっかりと手をつないでいた。そのつなぎ方は、沙也加さんのほうが母を支えているような様子だった。

 

大切な人を亡くした母のことが心配だったのだろうか、ときおり、聖子の顔を心配げに伺い、自身も泣きそうな表情を浮かべていた沙也加さんが印象的だった。通夜の間には、故人と対面する母の背中に沙也加さんが優しく手を置く場面も。母に寄り添う沙也加さんの愛情が感じられた日だった。

 

その5年前、『婦人公論』2008年4月7日号のインタビューで、聖子は沙也加さんについて次のように話していたことがある。

 

《娘には、よく話を聞いてもらいます。彼女はとても慰め上手。私はすごく心配性で、たとえば直前に「歌詞を間違えたらどうしよう」とか心配になってくる。それを娘に言うと、「何を言っているの。歌は全部頭に入っているから大丈夫!」と背中を押して送り出してくれます。励ましてもらったり、教えてもらったり。なんだか母娘逆転気味です。(笑)》

 

また、同じインタビューで聖子は、自身の母親との関係にも触れ、母と聖子、沙也加さんの3人の時間を次のように話していた。

 

《沙也加と私は、まるで母の“娘たち”のような関係です。私と娘が一緒に、母に怒られるんですよ(笑)。夜遅くまでおしゃべりしていると、「二人ともいい加減にしなさい」と叱られるし。》

 

温かい時間をともに過ごした家族との別れはあまりにも悲しい――。

 

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出典元:

WEB女性自身

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