百恵さん、聖子、明菜…伝説アイドルが異例の「右手マイク」を選んだワケ
画像を見る “左手でマイクを持つ”というアイドル歌手の伝統を変えたのが山口百恵さんだった

 

■“利き手で歌う”ことが認められた百恵さん

 

1980年、日本武道館で行われた引退コンサートで、百恵さんは最後の一曲を歌い終えると、ステージの中央にマイクを置き、静かに舞台裏へ去っていった。

 

「あの印象的なパフォーマンスも振付師の考案で、実は演出の一部です。右手で歌って、そのまま右手でマイクを置く。つまり、振付師の指導でも、百恵さんのアイドル歌手人生は『利き手でいいよ』と認められていたということだったんでしょう」

 

“左手でマイクを持つ”というアイドル歌手の伝統を変えたのが山口百恵だったという新事実。歌って踊ることが求められる当時のアイドル歌手としては画期的なことだったのだ。

 

「昔のアイドルでも、歌も歌うし、ダンスも特徴的って方もいるんですけど、百恵さんはダンスよりは歌に重きを置いていたということかもしれません。『プレイバックpart2』は当時では激しいほうに分類されると思いますが、一貫して右マイクでした。

 

歌唱とダンスのどちらが上か下か、という問題ではなく、パフォーマンスの何に重きを置いているか、総合的な演出方法において、歌唱力をメインに考えていたのだと思います。振付のないフリーのときなら、今も昔も利き手に持ち替えて歌う歌手はたくさんいるので、歌手の方はみんな基本的には利き手で歌いたいんだと思うんです。

 

だから、アイドル歌姫と呼ばれる人たちがことごとく右マイクなのは、もしかしたら本人の意向を『これだけ歌えるなら右手でいいよ』と、周囲の人たちが納得して尊重してもらえる環境だったからなのかもしれないですね」

 

「右手マイク」は多くの聴衆の心を震わす絶大な歌唱力を天から授かっていることを、デビュー前からすでに周囲に認められていた証しなのかもしれない。

 

百恵さんが引退した’80年は、聖子の歌手デビュー年だ。そして聖子の「最大のライバル」明菜が’82年にデビュー。くしくも“歌こそ命”の「右手マイク」伝説が受け継がれることになったのだ。マイクを持つ手から見えてくる歌手としての姿勢。改めて百恵さんのすごさを感じざるをえない。

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