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「大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の“悪女”りく役で再び脚光を浴びた宮沢さんが、2月下旬から主演舞台『アンナ・カレーニナ』で、“アサシン善児”こと梶原善さんと再共演します。東急百貨店本店の閉店にともない今春から休館する『シアターコクーン』での上演ということもあり、宮沢さんも『熱量の高い舞台にしたい』と連日、稽古に余念がありません」(舞台関係者)

 

宮沢りえ(49)はそのPRの一環で登場した『婦人公論』’23年2月号のインタビューで、多忙を縫ってでも「なるべく本を読むようにしている」と語った後、意外な悩みを吐露していた。

 

《私は中学を卒業してすぐに仕事を始めたので、子どもの頃は難しい言葉に対するコンプレックスがありました。同時に、まわりの大人たちの、知的でインテリジェンスが感じられる会話を聞きながら、「あんな大人になりたいな」と憧れもしました》

 

11歳からモデル業を始めた彼女だが、女優デビューは’88年の映画『ぼくらの七日間戦争』。ヒロイン・中山ひとみ役に約1万2千人の中学生から選ばれたのだ。りえは当時のインタビューで「将来は世界的な女優になりたい。(略)高校を卒業したら1年ぐらいアメリカに留学したい」(『夕刊フジ』’89年1月7日号)と将来の夢を語っていたが、ある理由から高校進学を断念することになる。

 

映画『ぼくらの七日間戦争』の菅原浩志監督は、『文藝春秋』’19年5月号で、当時の彼女についてこう振り返っている。

 

《突然、りえが『高校1校受けたけど落ちちゃった。私、女優になります』と言い出した。 私は映画に抜擢した責任を感じ、『りえ、今からでも行ける高校を一緒に探そう。業界に同じ年の友だちはいないよ。女優になるのはそれからでもいいじゃないか』と説得にかかりました。でも、彼女の決意は非常に固かった》

 

同作は約30年の時が流れた設定で’19年、アニメ映画として復活する。30年後の中山ひとみの声優を務めたのがりえ本人だった。その舞台挨拶で、りえは当時の思い出をしみじみと語っていた。

 

「演技の経験が初めてで、映画の撮影に入る前に2泊3日の合宿をして、エチュード(即興劇)みたいなことをやりました。それが苦痛で苦痛で『いつ、ここから抜け出せるんだろう……』っていうくらい演技に対する劣等感があったんです。とても苦労しました」

 

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