■大学を自主退学も2カ月後には結婚&妊娠を発表、ママ友と“朝までパーティー”
「ヒロスエブーム」絶頂期だった’99年4月、自己推薦入試で早稲田大学教育学部国語国文学科に入学した広末。しかし入学して2カ月が経っても、彼女は一度も大学の授業に顔を出さなかった。
当時、同学部のある教授は本誌の取材にこう苦言を呈していた。
「彼女は自己推薦入学制度を利用して“入学したい”という願書を出してきた。大学側も彼女に“勉強する能力がある”と判定して入学を認めた。“勉強する能力がある”と思ったのに、結局、授業に来ない。こっちが“ある”と思っている能力を発揮しないのだから、“広末はサボっている”と判断するしかない」
一方の広末は、通学しない理由を雑誌のインタビューで「高校は学校内であれば、知らない人は入ってきません。でも、大学は誰でも入ってくることができる。それが不安なんです」と語っていた。
結局、’03年10月に女優に専念することを理由に自主退学したが、2カ月後の同年12月にモデルの岡沢高宏氏との結婚と妊娠を発表し世間を驚かせた。だが本誌は’05年に、広末と岡沢氏が路上で人目をはばからずにケンカをしている姿を目撃。一方的に広末が怒っていたようで、岡沢氏は必死に彼女をなだめていた。
’07年4月には当時3歳だった長男の誕生パーティーを、同じ幼児教室に通う子供とその母親たちと一緒に自宅マンションで祝っていた広末。だが、夜10時半を回っても何組かのママ友は広末の家に残っていたようで、深夜まで彼女の部屋の電気が消えることはなかった。
そんな“朝まで子連れパーティー”から1年が経った’08年3月、4年3カ月にわたる結婚生活にピリオドを打つことに。当時、広末は所属事務所の公式サイトを通じて、「歩幅を合わせていくことが難しくなってきた結果の決断」と離婚理由を説明していた。
同年4月、本誌の直撃に応じた広末は、「離婚について息子に話したか?」という質問にこう答えていた。
「もちろん息子にも大きくかかわることですから。ちゃんと私からも、そして彼からも、子供に話をしました。そうして、わかってもらうように努力をしたつもりです」
一方でキャンドル氏は、先日の会見で「自分が妻と出会った頃、その時の彼女は心が不安定で」と告白。さらに「当時の長男は、大人の男たちがママに近づいたらすごい形相で、殴ったり蹴ったりするような子でした。その長男と向き合わなければ、と思って彼女と結婚させてもらいました」と語っていた。
3人の子供の母親として育児と仕事を両立させてきた広末だが、自分本位な振る舞いが改まる日はくるだろうかーー。