■母親の姿を追いかけていた宮﨑監督
『君たちはどう生きるか』には、美しい風景描写、走るシーンの躍動感、食事シーンへのこだわり、反戦メッセージといった、これまでの宮﨑作品の要素が詰め込まれている。
「宮﨑映画の集大成といいますか、監督が『やりたいことを全部やった作品』という印象を受けました」(有村さん)
主人公は牧眞人(まひと)という少年で、入院中だった母親を火事で失い、軍需工場を経営する父とともに東京を離れるところから物語は始まっている。
「宮﨑監督も主人公の少年と同じように戦時中の疎開経験があり、お父さんは航空機部品製造会社を経営していました。主人公は監督をモデルにしているのでしょう。
過去の宮﨑作品の多くでは女性がキーパーソンになっており、それは監督が母親の姿を追いかけていたからだと思います。『君たちは~』にも、そういった女性が登場します」(よしひろさん)
多くの要素が複雑にからみ合うこの作品で、際立っていたのが、主人公の生母と継母の存在感だ。
映画関係者はこう語る。
「宮﨑監督の母、美子(よしこ)さんは病弱でした。監督が小学校に入学したころ、美子さんは結核菌が脊椎に入り、脊椎カリエスを発症、9年間も闘病生活を余儀なくされたのです。
’08年に放送された『プロフェッショナル仕事の流儀 宮崎駿のすべて~「ポニョ」密着300日~』(NHK)では、幼い駿少年が、『おんぶしてほしい』と美子さんにせがんだとき、母から『できない』と涙ながらに断られたというエピソードも明かされています」
寝たきりの時期も長かった美子さんだが、やさしい女性であるだけではなく、勝ち気で活発な面もあったという。
「その後、美子さんは回復しましたが、’83年に監督が『風の谷のナウシカ』(’84年公開)を製作中に逝去。それは監督にとって大きな痛手となったそうです。以降、実母を投影したキャラクターを作品に登場させることになったのです」(前出・映画関係者)
宮﨑監督は、母の喪失についてインタビューでこう語っている。
《おふくろが死ぬときに、僕は“死”ということについてまったく触れることができなかったんです。親父のときもそうでしたけれど、やっぱりそのときに“死”について真正面から向き合って話ができなかったってことが、一種の悔やみとして残っているんです》(’02年出版の『宮崎駿の原点―母と子の物語』より)
映画作りを通して、亡き母と向き合い、愛を捧げ続けた宮﨑監督。『天空の城ラピュタ』(’86年)の空中海賊の女首領・ドーラ、『となりのトトロ』(’88年公開)のサツキとメイのお母さんも、そうして誕生したキャラクターだ。
「82歳となった宮﨑監督が、自分のすべてを注ぎ込んだのが『君たちは~』です。宮﨑監督は10年前に一度引退を表明しており、年齢的に“最後の長編”になる可能性もあるといわれています。“母”が子を抱きしめるシーンも描かれていますが、病気のために息子をおんぶすることができず涙を流したという美子さんへの“ラブレター”も秘められているのだと思いました」(前出・映画関係者)
見た人ごとに、さまざまな感想を抱くという『君たちはどう生きるか』。あなたならこの作品をどう見ますか。