■僕が頑張ることが、彼の生きた証しになる。
その後、Kamiの実家に行ったんだ。最初は、彼の誕生日、2月1日だった。
Kamiに会いたいと思った。Kamiの墓に行きたい。僕は葬儀にも出られなかったから、手を合わせたかったし、とにかく会いたかったんだ。
実家のある町は知っていたけれど、家がどこかは全く知らない。だいたいこのあたりに住んでいるということだけ聞いて、僕は車を走らせた。
そして、近所の……といっても、田舎だから、かなり広い町だけれど、あちこちの家のインタホンを押し、人を探しているんです。こういう人を知りませんか? このあたりに住んでいると聞いたんですけど。などと、聞いて回った。
朝、東京を発ち、昼ごろ、茨城に着いて、ずっと探し回った。ようやく住所がわかって家にたどり着いたのが夜7時ごろ。
玄関を開けたとき、わかりますか? と、聞いていた。お父さんもお母さんも、ライブに来たことがあったから、僕のことは、すぐわかった。
よく来てくれました。とにかくあがってください。
そう言って、家の中に招き入れてくれた。
家族みんなで夕食に出て、鍋をつつきながら、お父さんもお母さんも、いろんな話をしてくれた。僕の知らなかった子供のころのKamiの話もいろいろ聞いた。そして、こう言ってくれたんだ。
「まだ、忘れられないけれど仲間が頑張ってくれることが、あの子が生きた証しだから」
それを聞いて、とても救われた気がした。僕が頑張ることが、彼の生きた証しになる。
以来毎年、僕はKamiの誕生日と命日には、彼の実家へ顔を出している。
「いつでも遊びにおいで」というご両親の言葉に甘えて。
最初の年は、大勢、お墓参りに来てくれていた。命日にしても、誕生日にしても。あれから4年、どんどん人が来なくなった……。
来たから、どうこうということじゃない。お墓参りをすれば、Kamiが喜ぶというわけじゃないんだろう。でも、僕には皆がどんどん……、あいつのことを忘れていくように思えて……それが、すごく辛い……。
もっと頻繁に、彼の墓へ行けるといいんだけど、結局、命日のときと誕生日のときになってしまっている。
でも、そのたびに、お父さんもお母さんも歓迎してくれて、今では、自分の親のような感覚なんだ。ご両親のほうも、僕を実の子供のように思って、僕にKamiの姿をダブらせているように思う。
僕は今もずっと、Kamiの果たせなかった夢を追い続けている。それがKamiがこの世に存在し、生きた証しだ。
Kamiは今も僕の中に生きている――。
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GACKTは今年2月にも、Kamiさんの墓前で手をあわせる姿をインスタにあげていた。今回刊行された続編自伝『自白II』では波瀾万丈のアーティスト人生を歩んできた彼が50歳となった今、20年の沈黙を破って後半生を振り返っている。遺書を20通書いた活動休止期間の苦闘、主演映画『翔んで埼玉』の舞台裏、個人71連勝中のバラエティ番組『芸能人格付けチェック!』の葛藤、先輩アーティストたちとの華麗なる交流録、実業家として億単位の負債、最後の恋など仕事と私生活を自ら明かしている。
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