「当時、明菜ちゃんとよくお喋りしてて。『明菜、ごめん、貸して、ファンデーション』って言ったら貸してくれたんだけど、明菜は地が白くて、色白なので。私、地黒だったから明菜ちゃんのファンデーションだと真っ白になっちゃって、お面みたいになって。“やだー”って…」
三田寛子(58)は81年にドラマ『2年B組仙八先生』で女優デビュー。翌年、中森明菜(59)、小泉今日子(58)と同じく歌手デビューする“花の82年組”でもあった。昨年8月、彼女はレギュラー出演中のラジオ番組『パンサー向井の#ふらっと』で、同期の明菜とは楽屋が一緒だったことを明かし、冒頭の秘話を語っていた。
三田は91年に中村芝翫(58・当時は中村橋之助)と結婚。95年に長男・中村橋之助(28)、97年に次男・中村福之助(26)、01年に三男・中村歌之助(22)を出産。元アイドルから“梨園の妻”として息子3人を歌舞伎役者へと育て上げたが、この数年は夫の不倫が相次いで報じられている。
「6月中旬には芝翫さんと40代愛人・Aさんとの“実家”同棲が再び『NEWSポストセブン』で報じられました。もともとは芝翫さんの母・雅子さんが住んでいる“実家”でしたが、10年前、夫妻共同名義で買い取り“別宅”となっています。
Aさんとの不倫報道は21年末、京都でのホテル密会が最初でした。そして2年前、自宅の隣家での“リフォーム騒音”を理由に、芝翫さんは別宅へ移ったのです。さらに今春、Aさんは住んでいたマンションを引き払い、飼っていた猫とともに別宅で一緒に暮らすようになったといいます。
5月上旬に、三田さんは“実家”に乗り込み、『もっとしっかりしなさいよ!』と家の外にも聞こえる大声で芝翫さんに怒鳴り散らしていたとも報じられました。その後も、同メディアでの不倫関連報道は続いています。七夕の夜には、夫妻と息子3人が勢揃いした成駒屋の親睦会のあとも、芝翫さんはその日が誕生日だというAさんの待つ別宅へ帰っていったとも伝えられました。
三田さんの怒りは相当なものですが、息子3人が浅草公会堂で9月に自主公演をおこなうこともあり、贔屓筋の手前、秋までは離婚することはないといいます」(梨園関係者)
そんな三田は9日にインスタを更新。“カンに頼って”起きた日常のハプニングをつづっていた。
《1シャンプーでボディーを洗い 2ボディシャンプーで洗髪 なんだか軋む 3ボディローションでリンスをしてしまったやばい やっと3番目で髪がおかしな事に気づきよ~く見た次第 あああ近視メガネでまだ老眼鏡かけない日常だけど そろそろカンに頼っていられないなぁ〜》
前出の梨園関係者は言う。
「5月中旬、彼女は引き出しにしまっていた自らの下着の数々を“下着のリサイクルに出すので、名残惜しい”と写真付きでインスタに公開。SNSで話題になり、数日後に投稿を削除したことがありました。後日、ラジオ番組で“息子たちにも怒られた”と謝罪。下着は新品で、高級下着のコレクションが自らの趣味であること、そして“エルメスのスカートぐらいのつもりで載せたら、字足らずで伝わらなかった”と説明していました。
この炎上事件も、“カンに頼っていた”面もあったかもしれません。ただ、いまの三田さんにとっては、老眼鏡をかけることで、夫との現状がハッキリ見えすぎてしまうのが、感情的にしんどいのかもしれませんね」
夫の不倫報道については沈黙を守っている三田。レギュラー出演中の生放送『ひるおび』(TBS系)で彼女が“自らの夫婦関係”について何かコメントする日は来るのだろうか。