昨年10月に76歳で亡くなった俳優・西田敏行さんのお別れ会が、2月18日に東京・増上寺の光摂殿で営まれた。
祭壇は西田さんの生まれ故郷である福島の「磐梯山」や「猪苗代湖」をモチーフに、色とりどりの花々で華やかに彩られ、中央には笑顔の西田さんの遺影があった。
会には関係者850人、一般の弔問客700人が参列。『ドクターX』(テレビ朝日系)で共演して以降、公私で親交のあった米倉涼子(49)は、涙を流しながら弔辞を読み上げ、感謝と尊敬の念を伝えていた。
多くの仲間やファンに愛された西田さん。そんな西田さんの俳優生活を50年にわたって支えてきたのが、妻の寿子さんだった。そこで、2024年10月17日に配信し反響の大きかった記事「西田敏行さん 女優の夢捨て、アルバイトも掛け持ち…死去直前まで支えた“結婚50年妻”の献身」を再掲載する。
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10月17日、俳優の西田敏行さんが亡くなった。76歳だった。各メディアによると、東京・世田谷区の自宅でのベッドで冷たくなっていると関係者から通報があったといい、病死とみられている。
西田さんは‘81年にリリースしたシングル『もしもピアノが弾けたなら』が、累積売上51.7万枚のヒットを記録したほか、映画『釣りバカ日誌』シリーズのハマちゃん役やドラマ『池中玄太80キロ』『西遊記』『ドクターX』などに出演。’08年には紫綬褒章を、’18年には旭日小綬章を受章し、まさに日本を代表する名優だった。
そんな西田さんの俳優生活を50年にわたって支えてきたのが、妻の寿子さんだった。
夫妻が結婚したのは、’74年8月。西田さんが所属していた劇団『青年座』に、寿子さんが研究生として入ったことがきっかけだった。そこで西田さんが寿子さんにひと目ぼれ。数カ月後には彼女のアパートに転がり込み、同棲を始めた。
「同棲をきっかけに寿子さんは劇団を辞め、女優の夢をあきらめました。それからというもの、寿子さんは下積み生活を送る西田さんのため仕事を開始。劇団の出演料は暮らしていくのに十分とは言えない一方で、主演など出番が増えるほどアルバイトなどに割く時間が減ってしまいます。そんな西田さんに代わり、寿子さんは喫茶店やブティック、ときにはスナックなどのアルバイトを掛け持ちし経済的なサポートを買って出たのです」(芸能関係者)
入籍から2年後の’76年7月には長女が誕生。寿子さんの借りていたアパートから、世田谷区内の家賃35,000円・2Kのアパートに引っ越したという。西田さんは同時期にレギュラー出演していた『いごこち満点』と『三男三女婿一匹』(共にTBS)でブレイク。その1年後の’77年10月には4000万円で待望のマイホームを手に入れた。
その後、西田さんはドラマに映画にと大活躍。そんななか、寿子さんにある申し出をしたという。
「寿子さんが長女を出産した後、西田さんは『育児が一段落したら女優の勉強を再開してもいいんだよ』と言ったそうです。でも夫からのそうした申し出を、彼女はスッパリ断ったそう。寿子さんは女優の夢を完全に諦めて、西田さんの俳優人生を支えることを決意していたのです」(前出・芸能関係者)
