■国分が提示した「TOKIOセカンドステージ」の全貌
「たとえば《名刺を作る》ということになったら、福島に行って木を切って、その木を紙にして、紙から名刺にして、という部分が動画で出たりしたら面白くなるのかなって。今まで経験させてもらったすべてのことが、社会貢献にもつながっていくのかなと思っていまして。
《ファーム作り》は『DASH!!』のイメージもありますし、できたらこれが食育事業であったり、子供の体験という場を作ってみたりとか。《町おこし》っていうのも、僕で言うと、キャンプが大好きなので、キャンプ場をプロデュース、というのをやって、元気のない街に人を呼ぶとか。《日本中のものづくり》というのは職人さん、たくさんいると思うんですけど、手作りという僕らのテーマでもあります。職人さんを応援する、その場所をアンテナショップ的に、自分たちの『株式会社TOKIO』から配信していく、そんなことができたらいいのかな、と。株式会社TOKIOから全国に、ということですね。《各企業とタッグを組む》というのは、いままであまりやってこなかったイベント参加だったりとか、テレビゲームや、スマホのアプリなどを組み込めていけたらと思っています。
すべて楽しみながら、我々は3人ですが、“関わった人たちはみんなTOKIOと言いたいな”と思っています。“DO IT YOURSELF”という言葉があるんですけど、僕らの場合は“DO IT OURSELVES”。みんなで作っていきましょう、関わってきたすべての人とTOKIOと言いたいな……と。
最後に先代社長(※当時)が付けてくれたTOKIOはどういう意味かというと、日本の中心はTOKIO、TOKYO、その名前をひっさげて世界に行けるようにということでつけられたんです。けれども、セカンドステージは、もっとその屋号を大切にするために、新しい意志をこのアルファベットに乗せたいな、という気持ちで。いままではグループだったんですけど、T(これからはTeamとして)、Oneness(ひとつになっていきましょう)、強く結んだ絆(Knot)を胸に、アイデア(Idea)を巡らせて、この未来を、僕らのものに(Ours)できたらいい会社になるのかなあ、ということで。
具体的なものはこれから。これから先のこともいろいろ考えていかなければいけないんでしょうけども、これは夢物語ではなく、ひとつひとつ現実にしていって、僕らが進んだものが具体的な会社の進み方なのかな、と思っています。以上です!」
取材の最後、記者に「これぐらいの年齢になると、自分たちがどうのこうのではなく、社会貢献、恩返しが個人的に課題になっている気がする。そこをまっとうしていく」とも語っていた国分。設立前の決意表明が今となっては空しく響く株式会社TOKIOは、各関係者への謝罪で幕を閉じた。
画像ページ >【写真あり】「異変」が起きていた国分とファンの交流の場(他10枚)
