「この10年間は本当につらい日々でした。でも、同じ病気に悩んでいる方には、回復の兆しは必ず見つかるから希望を捨てず、けっして自分を責めないでほしいと伝えたいですね。そして、何よりも『愛すること』を大切にしてほしいです。愛する家族とたわいのない会話をしたり、お花を慈しんだり。何でもいいので『愛』を感じていくと、それが重なって徐々に快方に向かうと、私は思います」
9月21日に芸能活動を本格的に再開することを発表したシンガー・ソングライターでタレントの泰葉(55)。会見では、’07年に春風亭小朝(61)と離婚した後、双極性障害によるうつ状態と闘っていたことも明かした。体験した壮絶な“うつ闘病”を支えた“海老名家の絆”−−泰葉が本誌に語ってくれた。
「治療は抗うつ剤の服用とカウンセリングが中心でした。多いときは朝と晩、3錠ずつ服用していました。お薬を飲むと、気分は楽になるんですけど、足がしびれたり、急に顔や手をずっと洗いたくなる。そんな副作用も苦しかったです。そのころ、実家の隣にあるマンションに引っ越したんです。母(海老名香葉子さん・83)は『まあしょうがない。こういう性格だし、(病気にも)なっちゃうだろう』と、どっしり構えていましたね。それがすごくありがたかったと、今は思います。ただ『毎日必ず(実家へ)顔を見せに来なさい』と言われていました。3階には『ねぎし三平堂』(初代林家三平さんにまつわる品々が展示されている資料館)がありますので、『三平堂で、夕飯まで歌の練習でも何でもしなさい』と」
だが、最初は薬の副作用でだるく、レッスンどころではなかった。いっこうに改善しない病状。それにもかかわらず治療を投げ出さなかったのは、「やっぱり、家族の力がありました」と、泰葉は言う。
「いちばん印象深いのは、(弟の林家)正蔵の言葉ですね。本当にどん底のとき、私が『もうダメだだぁー!』と嘆いたら、「やーこ姉は病気じゃない!ただの性格だ!だから治る!」って(笑)。妙に楽天的で、さすが噺家だなあと感心していました」
もちろん助けてくれたのは、正蔵だけではなかった。
「(弟の2代目林家)三平は、気分転換にと、カナダのバンクーバーに2週間も連れていってくれました。三平と親交のあるクラシックの指揮者のお宅に滞在させてもらったのですが、自分の中の音楽が少しずつ取り戻せていったような気がしました。三平の奥さんのさっちゃん(国分佐智子)は料理上手で、いろいろふるまってくれましたが、たくさんの仕事仲間も紹介してくれて。そのご縁で、三平が出演している映画『サクラ花』(現在公開中)の主題歌を歌わせていただくことにもなりました」
それから、泰葉のもう1人の家族である愛犬トゥルーだ。
「『私がいなくなったらこのコ、餌が食べられなくなっちゃうな』と、トゥルーが死ぬことを思いとどまらせてくれました。家族の優しさに触れることで、薄紙が一枚ずつ剥がされていくように、少しずつ、視界が明るくなっていったんです」
きょうだいたちが、あれこれと手を尽くしてくれるなか、回復への糸口を見つけてくれたのは、ほかでもない家族の中心・香葉子さんだった。
「子供のころから三味線が好きだったこともあって、母が『三味線を弾きなさい』と、うるさかったんです。あんまり言うので仕方なく、昨年の冬に、壊れていた三味線を修理に出したんです。そして1週間後、きれいに直った三味線を見たら、急に、元気のスイッチが入ってしまって。故・山田五十鈴先生も演奏された『たぬき』という名曲があります。難しくて、いま日本で演奏できる人がほとんどいないんですね。私も昔、さらったことはあるんですが、モノにはできていないままでした。それが、新しくなった三味線を見たら、“ならば私が『たぬき』を!”という気持ちが芽生えまして。そこから生まれ変わったように生きる気力が湧いてきて、三味線の稽古に励むようになったんです。私、超ファザコンなものですから、ずっと一度は父のように高座に上がりたいと思っていました。そして、このとき『三味線で高座に上がる』という目標もできたんです」
その目標がかなったのは今年7月。香葉子さんが最高顧問を務める名古屋の大須演芸場で、亡き父の十八番だった落語『源平盛衰記』を、オリジナルの三味線アレンジを加えて『泰葉版 源平盛衰記』として披露した。
「どっかんどっかんウケましたし、父が高座に命をかけたのもわかりました。あのとき、『これが私の生きる道だ』と確信して−−。きっとあれが、うつ病を克服した瞬間だったと思います」