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「百恵が贈ってくれたキルトですか?ええ、いまでもここの2階に飾ってありますよ」

 

そう言いながら三浦友和(66)の実姉・篠塚ひろ子さん(67)が指さす先には、壮大なキルト作品『大地』があった。ひろ子さんの義妹にあたる三浦百恵さん(59)の作品だ。

 

「百恵は、自分の息子たちにも20歳の記念にキルトを作っているんですね。長男の祐太朗(33)は『空』、次男の貴大(32)は『海』、うちの建太(30)には『大地』をテーマに、それぞれが20歳になるタイミングで順番に作ってくれた3部作。その気持ちがとってもありがたかったですね。だって、1枚作るのに2年もかかるものなんですから」

 

10年経ったいまでも、ひろ子さんが経営する山梨県・清里のペンション『La VERDULA』に飾られてある。記者が高原の清里を訪ねたのは、まだ雪が残る3月27日のこと。夫の篠塚健次郎さん(69)も同席し、夫婦仲良くインタビューに答えてくれた。

 

篠塚さんは97年のパリ・ダカール・ラリーで日本人初の総合優勝を果たした、日本屈指のラリードライバーだ。このペンションのオープンは86年。始めたのは、ひろ子さんと友和の両親だった。当時、タレントとして活躍していたひろ子さんも、友和や両親から内装の相談などを受けるうちに巻き込まれていったという。友和にとっては思い入れも深く、両親がいる実家のような場所。以後、三浦家は頻繁に清里を訪ねるようになっていた。

 

「子どもたちは、“3人兄弟”のようでした。主人は仕事柄ほとんど家にいなくて、建太にとって主人はものすごく可愛がってくれるお父さん。半面、ビシッと叱ってくれるのが弟(友和)でした」

 

建太さんは現在、絲木建汰の芸名で舞台中心の役者をしているが、そこには友和の影響が。00年、篠塚さんがパリで活動することになり、一家はペンションを休業し移住した。

 

「パリに行って3年目、主人がパリ・ダカのレース中に大事故を起こしたんです。テレビに『篠塚、危篤』とテロップが流れて。これはもうダメなんだと思い、建太に『覚悟しなさい』と言ったんです。彼は中学3年生でしたが、真剣に頷いていました。でもそれから2~3日して、篠塚本人から電話がかかってきたんです。『俺、事故起こした?』って(苦笑)」

 

 篠塚さんは「あちこち骨折していたし、顔は負けたボクサーみたいに腫れ上がっていましたが、命に別条はなかったんです」と補足する。そして、ひろ子さんはこう続けた。

 

「それで、篠塚の治療・療養のために一時帰国したんですが、その機内で15歳の建太がこう呟いたんです。『僕、役者になりたい』って。父親の死を覚悟したとき、きっと彼なりに考えたんでしょうね。それにね、怖い叔父さん(友和)の仕事ぶりや生きざまを息子なりに見ていたんだと思うんです。だから『役者になりたい』と」

 

19歳のとき、学習院大学の学園祭で大手芸能プロダクションにスカウトされた建太さんは、すぐに友和に相談している。

 

「弟からは『やりたいなら、やればいい。その代わり覚悟してやりなさい』って言われたらしいです。 百恵も、建太を3番目の息子みたいに思ってくれていて、『どう、建太は?』って、時々、電話をくれるんですよ」