夢だったアナウンサーとしてがむしゃらに働き続けていたら、30代が終わりかけていた。「そういえば私、子どもが欲しかったんだ」。スタジオを離れてかなえた、出産というもうひとつの夢。スタジオに、もう自分の居場所はないと思っていた。でもリスナーは、現場は、彼女を待っていた。揺れる彼女へかけられた“ある一言”が、彼女を「ママアナ」へと進化させる。

 

「午後1時になりました。いかがお過ごしでしょうか」

 

東京・赤坂にあるTBSのスタジオに張りのある元気な声が響く。TBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』のパーソナリティを務めるフリーアナウンサー・赤江珠緒さん(43)の声だ。

 

100期以上連続で、聴取率1位を独走中のTBSラジオのなかでも、『たまむすび』は高聴取率ランキングの常連。『スーパーモーニング』や『モーニングバード』(各テレビ朝日系)で朝の顔だった赤江さんが、この看板番組を任されたのは’12年4月のことだった。

 

以来、5年間パーソナリティを務めたが、昨年出産のために降板。今年4月、復帰している。赤江さんは月~木曜の担当で、パートナーは日替わり。取材当日の水曜日は、博多大吉さんだった。赤江さんの天然キャラを大吉さんがイジりまくって、明るく軽妙なトークが展開していた。

 

「彼女のいいところ? う~ん、字がきれいなところです」

 

放送終了後、大吉さんに赤江さんについて話を振ると、そうボケてから、マジメな顔で語った。

 

「赤江さんは、産休・育休を経ても、まったく変わらない。ブランクなんてなかったように、ちょこんと座ってしゃべっている。『ホントに休んでたっけ?』って錯覚させるものがありましたよ」

 

そして、こう続ける。

 

「彼女はアロンアルファのような強力接着剤。人を引きつけ、離さない。クラスに1人くらいいる、男子とメチャ仲のいい女子というか、受け止めてくれる人ですね。アナウンサーとしては、すごいんですよ。彼女は日本一のアナウンス力を持っていると思う。とても気遣いのできる人で、素晴らしい聞き役でもある。どんなゲストであっても、話を引き出せるんですね。たとえるならば、『箒が相手でもプロレスできる』といわれたアントニオ猪木さん(笑)」

 

出産で『たまむすび』を降板したとき、赤江さんは仕事を辞める覚悟だった。しかし、TBSラジオ側は、「産んでみて、お子さんの状況をみてから考えませんか?」と完全降板を保留。

 

「これは私の想定外のことで、望外の喜びでした」

 

そう話す赤江さん。とはいえ、実際に復帰となると悩みは尽きなかった。

 

「仕事をしながら育てようと決めたものの、いざ、保育園に預けようとなると、『もっと一緒にいたい』と思う。逆に、家で娘と2人きりになると『仕事の楽しさは自分の居場所だったな』と思ったり」

 

両親に相談すると、父は「やってみたら? フリーなんだから、ダメなら向こうが切ってくれるよ」。母も「いまさらお母さんらしくしようとしても、無理なんじゃない?」と言った。

 

それもそうかと思いつつ、赤江さんはギリギリまで“もう仕事は無理かも”と揺れに揺れた。

 

「仕事の面でも、自分のなかでこれまでの20年が美化されて、出産前の完璧な自分にはもう戻れないと、悩んでいたんです」

 

そんなとき、アドバイスしてくれたのが大吉さんだ。

 

「大丈夫。自分で言うほど、仕事、できてなかったから。1年前もそんなに完璧じゃなかったよ(笑)」

 

気持ちがスーッと楽になった。

 

’97年、赤江さんがABC(朝日放送)にアナウンサーとして採用され、スポーツ担当となったとき、スポーツ実況を一から教えてくれた楠淳生さん(現フリーアナ)は彼女をこう評す。

 

「まるで天然で、いまの仕事ぶりをみても、機転が利いているとか、運びがうまいとか、僕は一切感じない。周囲からかわいがられ、いたぶられるサンドバッグ感が赤江の持ち味です。出産後、午後枠でもう一度、番組に戻れたのも、赤江だからできたことだと思います」

 

仕事に復帰したいまも、赤江さん自身は日々迷い、悩む。兵庫にいる両親も、たまに手伝いに来てくれる。夫も、離乳食の作り方を覚えて、支えてくれる。それでも揺れてしまう自分を、叱咤激励しながら仕事に向かう。

 

「気をつけていても、日々、揺らぐ。保育園も祝日は預かってくれないところが多くて、“育休”をとらないとしのげないこともありました。常に心配が先回りするんです。せめて自分を追い込まないようにと思っていますが」

 

赤江さんの悩みは、働きながら、結婚、出産し、子どもを育てる女性、誰もが持つものばかりだ。

 

「ひとつ気づいたのは、親になると親のありがたみがわかると言いますが、私の場合逆なんです」

 

両親は、これまで常に赤江さんのお手本だった。

 

「親孝行しなければと思っていたし、子どもに対しても、専業主婦の母を見て、母親とはこうあるべきだと思っていたんですね」

 

それが自分自身を縛り、自分を苦しめていた部分があったという。

 

「でもよくよく考えると、私も姉も幼いころ大けがしているんです。私は熱いお風呂を触って大やけどをしたし、姉も階段から落ちたし。『うちの親、めちゃダメじゃない?(笑)』って、ふと思った。親もたいしたことなかったんだと思うと、楽になったんです」

 

40代で母になった赤江さんと比べたら、20代で出産した母が完璧じゃないのは当然だ。

 

「そこから、とにかく固定観念を捨てようと思いました。子育てに『こうしなければならない』という金科玉条はない。キャリアにしても、親世代や前の世代とは、時代が違う。そこに、整備された道はないんです。自分で切り開かなければいけない。そこに気づきました」

 

母になって、赤江さんは少しだけ強くなったようだ。

 

「自分で切り開いて、やりたいように生きていく。これからは、子どものころから好きだった歴史や昆虫の番組をやってみたいですね」