小島慶子「41歳の新発見。『私、発達障害でした』」
(撮影:夛留見彩)

「私は家でも学校でも、ひどい問題児でした」

 

彼女は、熱を帯びた口調で子ども時代の思い出を語り始めた。

 

「まず、落ち着きがない。常にもじもじして、じっとしていられない。声を出してはいけないところで出したり、グネグネしたり(笑)。それから、嫌なことに耐性がまるでなくて、受け流すことができずにすねて周囲を困らせたり、かんしゃくを起こしたり、駄々をこねたり」

 

ひとたび火がついてしまったら簡単には止められないのか、彼女は一気に言葉を継ぐ。

 

「小学生のときも私語が多くて空気も読めないから、先生が一生懸命、説明しているのに『先生、その話、テレビで見ました!』と話の腰を折ることもしょっちゅう。衝動が激しくて『いま言いたい!』と思ったら言わずにはいられない。失敗して、次は気をつけようと思っても、またやっちゃう。周囲からは『無神経』とか『わがまま』とか『ひねくれ者』と思われて。悪目立ちして、面倒くさいやつと疎まれたり、仲間はずれにされたり、いじめられたり」

 

言葉が次から次に、とめどなくあふれ出てくる--。元TBSアナウンサーで、現在はタレント・エッセイストの小島慶子さん(46)が語り続けたのは、幼少期の自分の生きづらさについてだった。

 

小島さんが今夏、インターネットで発信したある手記が注目を集めた。それは連載中の『日経DUAL』7月2日付の記事。

 

そこには、41歳で発達障害の1つである、ADHD(注意欠如・多動症)と診断されたこと。そして子どものころはもちろんのこと、女子アナ時代も、子育てに励むいまも、常々生きづらいと感じてきたその根っこに、自らの発達障害の特性があると知って、得心がいったと、こうつづっている。

 

《もっと早く知りたかったよ!》

 

「知ってホッとしました。他人と同じようにできないのは、心がけの悪さが原因か、能力が低いからか、と悩み続けていたから。でも、それが、脳の機能的な問題だとわかったわけです。『私は牛乳を消化できない体質』というのと同じですよね。そうと知っていたら、無理やり牛乳を飲むこともなかったのに。いつか飲み慣れると無理し続けて、これまでの私はずっとおなかを壊していたようなものですから。だから、対処の仕方がクリアになってよかったなと思えました」

 

堂々と診断結果を公表したのは、それが個性だと思えるようになったからだ。それまでは、折り合いをつけられずに周囲と衝突しては、うまくいかない自分を責めるばかりだった。

 

「身近な世間話のなかで『うちの子、そうかも』とか『クラスの困った子、それっぽいの』とか。何かまるで不吉なもののように発達障害を捉えている人が多いんですよ。一方で、すごく雑に扱う人も。『俺って変わり者でたぶん、そうなんすよ』とか、『テレビに出てるあの人もきっとそうよ』とか。ネガティブな先入観だけで話してほしくないし、ひとくくりにして軽はずみに扱ってほしくもない。だったら、その当事者である私が手を挙げて、一口に発達障害といってもいかに“いろいろ”あるのかを『私の場合はこうなんですよ』と発信してもいいかなと。そう考えたんです」

 

発達障害の専門書などでは、そのような脳の特性を持たない“普通”の人のことを「定型発達」と呼ぶ。

 

「でもね、普通とか定型にきちんと当てはまる人だって、全員同じ脳みその持ち主じゃないでしょう。世の中、とくに日本の社会は、巨大な“普通幻想”があって、その、普通という型に自分をはめ込んだ人たちで世の中が回ってる。でも、その人たちが全員、機械のように同じ中身のはずないじゃないですか。マジョリティとされてるなかにも多様性はあるんです。なかには窮屈な思いをしてる人だっている。そういう人たちがいて当たり前だよね、とならないと、世の中は変わっていかない」

 

小島さんは「きっとこれまでの日本はそこに気付かないようにしてきたのでは」と話す。

 

「みんな同じであれと言えば、労働者を管理しやすい。でも、かつてのような経済成長が望めない世の中で、みんな同じでなくちゃダメという型を押し付け合うのって『いったい誰のため?』って思うんですよね」

 

障害のあるなし、症状の度合いも人それぞれ。大事なのは「本当の自分」を、お互いが受け入れることではないか。そうすれば社会はもっと生きやすくなる。小島さんの「私の場合はこうなんですよ」という告白に心が軽くなる人が、きっと増えていくはず――。

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