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「お別れ会の随所に、ジャニー喜多川さんが好きな銀のテープやパーン! という派手な演出があったよね」

 

ジャニー喜多川さん(享年87)のお別れの会をそう振り返るのは編曲家の船山基紀さん(68)だ。中島みゆき(67)の『時代』や沢田研二(71)の『勝手にしやがれ』、五輪真弓(61)の『恋人よ』やC-C-Bの『Romanticが止まらない』、Winkの『淋しい熱帯魚』など、時代を彩った多くの曲のアレンジを手掛けてきた。編曲した曲は2,700曲以上を数え、編曲家部門のシングルの総売上げは小室哲哉(60)に次いで日本2位だ。

 

船山さんはジャニーズの楽曲の編曲も多く手掛けている。田原俊彦(58)の『ハッとして!Good』や『抱きしめてTONIGHT』、少年隊の『仮面舞踏会』、SMAPのデビュー曲『CAN’t Stop!! LOVING』、KinKi Kidsの『ジェットコースター・ロマンス』や『フラワー』、TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』や『宙船』、近年はKing&Princeの『シンデレラガール』やSexy Zoneの『カラクリだらけのテンダネス』などなど、その数およそ265曲にのぼる。

 

7月9日に帰らぬ人となってしまったジャニーさん。9月4日に東京ドームでお別れの会が行われ、業界関係者向けの午前の会に、船山さんも参列した。

 

「僕の席のまわりには、一緒に曲を作ってきたディレクター陣や、森浩美(作詞家)とか馬飼野康二(作曲家、編曲家)とか作家連中が集められていました。なんかイメージ的にアメリカのような形になるんじゃないかとか思っていたけど、普通に位牌が置いてあって。よくよく考えたら、ジャニーさんの家はもともとお寺さんなんだなぁとか、ふとそんなことを思ったり……」

 

父は高野山真言宗米国別院の僧侶で、米国・ロサンゼルスで生まれたジャニーさん。朝鮮戦争のときは、米軍で通訳として働いていた経験もある。その生い立ちもあって、ニューヨークのブロードウェイやラスベガスのショービジネスへの造詣が深かった。愛した音楽もまた、そういうものだった。

 

「ジャニー喜多川さんが好きなサウンドは“派手”。でも、ただ派手なだけじゃダメで、そこにこれまで聴いたことのない、『えっ?』という“驚き”が必要なんです。それこそ、車が宙を舞うような、ラスベガスの手品師みたいなことを、求められてきたわけですよ」

 

船山さんは、そんな要求に常に応えてきたと自負している。

 

「僕のアレンジの特徴も、無理矢理“派手”なんですよ(笑)。昔は、レコードに針を落としたでしょ。その5秒が勝負なわけ。そこで『えっ!?』と、思わせたい。100点満点じゃダメ。それを110にも120にもして『これ何~ すごい』というところまでいかないと。僕は、どんな歌でも、舞台の上で映える感じや、歌った瞬間の驚きを目指してきました。だから、ジャニーさんの目に止まり、今もジャニーズの仕事ができるんじゃないかと思うんです」

 

40年間にわたり、ジャニーズの楽曲に携わってきた船山さん。’00年に堂本光一(40)主演の舞台『SHOCK』に参加した時は、ジャニーさんが納得するまで、10回くらい曲を書き直しさせられたことも。そんな経験を通じて、ジャニーさんの仕事に対する厳しさに触れてきた。また、同時に優しさにも……。

 

「人にご飯ご馳走するのが、本当に好きな人でね。現場にはよく焼き肉弁当などの差し入れを『重い、重い』と言いながら、ジャニーさん自ら、両手に下げて持ってきていた。それも晩年まで、全部、自分で買いに行っていたそうだよ。ディレクターが夜、自宅に打ち合わせに行けば、『YOU、お腹空いてない?』って、ステーキ焼いてくれたという話も聞きました」

 

船山さんが、他の事務所のタレントの仕事をしようと、ジャニーズを辞めたアイドルの仕事をしようと、ジャニーさんは頓着しなかった。

 

「ジャニーズで良いものを作れば、それでいいって考え方。タレントだけじゃなく、スタッフの才能を見抜く力も抜群だった。一生懸命、作ってきたものを鼻先で突き返すようなことは絶対にしない。悪く言う人はいないよ。皆が尊敬してるから」

 

お別れの会で、船山さんはジャニーさんの遺影に手を合わせ、感謝の思いを伝えた。スライドでは、ジャニーさんの全人生が流された。

 

「子どものころにメリーさんと撮った写真、軍隊時代、野球チームのジャニーズ、数年前の誕生会で、マッチや中居くん、大勢のタレントに囲まれた元気な姿もあったな」

 

NHKの「思い出のメロディー」で仕事を共にしたばかりの東山紀之(53)を会場で見つけた。声をかけようとしたが、思い止まった。

 

「泣いていたんだよね、東が。後ろ向いて、涙を拭っていた……。ジャニーさんの魂は、ジャニーズのみんなに叩き込まれている。教え子たちがみんなで送ってくれる。いいよね、ああいう人生って」

 

’20年、編曲家人生45周年を迎える船山さん。10月10日に、著書『ヒット曲の料理人 編曲家 船山基紀の時代』(リットーミュージック)を出版した。もう、人生を振り返る時期に来ていると思いきや、夢が尽きることはない。

 

「コンピューターが発達したおかげで、作家が孤立している。1人で何でもできるようになったから、昔、皆でスタジオに集まって音源を作ったときのように、“ハプニング”や“驚き”が、生まれにくくなっていると思う」

 

コンピューターの発展は音楽に新たな可能性ももたらしたが、コンピューターの性能に音楽が制限もされるようにもなったという。

 

「だから、今こそ、原点に戻るというか、新しい形の音楽を人間の力でやりたいなと。音楽って12音の組み合わせだから、限りはありますよ。だけど、そこに音符で表すことができない魂を込められたら……。それが人間力だと思うんだよね」

 

ジャニーさんが求めた驚きを、誰も経験したことのない感動を、船山さんはこれからも、追い求めていく――。

 

(取材:岡野誠)

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