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真っ暗なステージにスポットライトが当たると、ギターを抱えた歌手・野口五郎(64)の姿が浮かび上がった。野口が特別な思いを寄せる場所、Bunkamuraオーチャードホールで2月22日、『Goro Noguchi 50TH ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2020 I can sing here~今ここで歌える奇跡~』が開かれた。

 

今年は、デビュー50年目に突入する大きな節目の年でもある。野口は、10代の頃から共に走ってきた“戦友”、『新御三家』について語ってくれた。

 

「3人は仲間だったけど、いいライバルでしたね」

 

その仲間とは、郷ひろみであり、西城秀樹さんだ。『新御三家』と呼ばれ、3人でスターダムに上りつめた。中でも、西城さんとは家族ぐるみの付き合いになった。妻同士、子ども同士も仲がよく、西城さんの子どもたちからは「五郎パパ」と呼ばれている。

 

「当時は近所に住んでいて、ふらっと秀樹が遊びに来たり、僕が行ったり。何でも話し合える仲。彼は何でも話してくれました」

 

15年、西城さんは還暦コンサートを開催。11年に脳梗塞を再発し、右半身マヒと言語障害の後遺症で苦しんだが、リハビリを重ね、復活した祝いのステージでもあった。『Happy Birthday』を観客全員が歌うなか、舞台袖からケーキを乗せたワゴンを押して出てきたのは、サプライズ・ゲストの野口だ。

 

西城さんは心底、驚いて、「なんだよ」と、照れた。握手をした野口は思わず言った。

 

「恥ずかしいけど、いままでやったことないけど、やっていい?……抱いていいか?」

 

一瞬、戸惑ったが、西城さんも笑みを浮かべた。ファンが歓声をあげるなか、抱き合った、そのときの感触を思い出したのか、野口の目に涙が光る。

 

「何であんなこと言ったのか。抱いた感触は……。つらいから思い出したくないけれど。彼がどんな思いであのステージに立っていたのか、僕は自分の体で感じていました。そこまでして、このステージに立ちたかったのか、と。あいつの男として、アーティストとして、父親としての生きざま、すべてを感じ取った一瞬でした」

 

ふたりの交流は、西城さんが亡くなる直前まで続いた。

 

「おーい。体調はどう?」
「寒いときはちょっとね」

 

そんな短いやりとりの電話がしばらく続いた。

 

訃報は突然、やってきた。2年前の5月16日だった。すぐには現実を受け止め切れない。しばらく心にぽっかり穴があいた感覚だった。葬儀後初めての仕事で西城さんの故郷の広島へ行った。瀬戸内に臨むホテルから見上げた空が雲ひとつない青空だった。

 

「ふと、秀樹の『ブルースカイブルー』を思い出した。それをきっかけに、そういえば、あいつ、うちで歌っている曲があったよなぁって思い出して」

 

探してみると、段ボール箱に、西城さんが歌ったオープンリールの古いテープ音源が残っていた。野口のスタジオで録った西城さんの歌声だ。その未発表音源に、自分の歌を加えて録音した“時を超えたデュエット”を、テレビ番組で発表。さらに、野口が特許を持つ「テイクアウトライブ」というスマホアプリで「HIDEKI&GORO」として配信した『LOVE SONGを永遠に』は、野口と西城さんの子どもたちからも、一緒に歌いたいと声が上がり、みんなで歌った。

 

「秀樹の若い声を聞くと、泣けてくるから、僕は少し鼻声になっちゃった。顔は映さなかったけれど、子どもたちの後ろ姿が未来を象徴していてね。この姿を見たら、秀樹もきっと喜ぶかなって……」

 

冒頭のコンサートのMCで野口は、思い出話でこの50年を振り返った。

 

「あるとき、雑誌から新御三家の鼎談(ていだん)企画がきて。こういうとき、僕も秀樹も『ひろみがOKなら受けます』と答える(笑)。でも、このときは、ひろみがOKしたんです。秀樹から電話がきて『どうしようか』と話したくらい(笑)」

 

西城秀樹さん、郷ひろみ(64)と3人で『新御三家』と呼ばれた時代のエピソードは、同世代のファンにとって宝物だ。2年前、63歳で逝去した「秀樹」の名前を聞き、涙するファンの姿もあった――。

 

「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載

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