行動はいつも母・奈美さんと一緒で、上京の際は新大久保で韓国料理を堪能。 画像を見る

壊死した足は感染症のリスクが高まり、死に至る――。右足の切断を突きつけられた12歳のキッズモデル・海音(あまね)。現在、19歳になりモデルとして再出発を果たした海音に、当時のことを語ってもらった。

 

5歳のとき、お気に入りのブランドショップのフォトコンテストでグランプリに輝いた海音は、カタログモデルとなり、それを機に、複数のブランドからオファーが舞い込んだ。春・秋のカタログ撮影、キッズコレクションの出演で大阪から上京するなど、多忙な日々を過ごすことに。小4の冬にはアイドルグループに所属し、いきなりメイングループでデビューすることになった。

 

何もかも順調と思われていたが、このころから体調の変化があったと、海音は言う。

 

「耳が聞こえづらかったり、耳鳴りがしたんです。耳だれもすごくて、袖で拭いたら、すごくぬれてしまった」

 

他にも、ダンス中に意識を失ったり、右足に激痛が走り、立っていられなくなったことも。病院に行き血液検査をすると、担当医からこう告げられた。

 

「すぐに入院してください」

 

病名までは判明しなかったが、2週間ほどして、詳しい医師のいる病院に転院したところで、全身の血管に炎症を起こす、難病指定されている多発血管炎性肉芽腫症だとわかったのだ。

 

病状は悪化の一途をたどった。足の痛みは猛烈で、海音は「当時の記憶がない」と話すほど。体重は28kgにまで落ち込み、骨と皮しかなかった。

 

「入院して2~3カ月くらいすると、右足の太い血管に肉芽ができて、血液の流れが止まり壊死が進みました。足の甲の半分くらいから先端にかけて、真っ黒に変色するんです」(海音の母・奈美さん)

 

壊死した足は感染症のリスクが高まり、死に至る。そのため、ふくらはぎの半分から下を切断しなければならない。到底、受け入れられるわけがない。

 

「セカンドオピニオンを探して『話だけでも聞いてほしい』と押し掛けました。でも、返ってくるのは『壊死したら治らない。炭は花を咲かせないでしょ』『ボクなら膝下ではなく、太ももから切ります』と言われ、くやしくて……」(奈美さん)

 

どの医師も、切断以外の選択肢を示さないことで、現実を受け入れざるをえなかった。医師団が海音に告知するにあたり、奈美さんも気持ちの整理をつけなくてはならない。

 

「足を切断すれば、モデルの未来も絶たれる可能性もあるので、自殺するかもしれへん。事前の打ち合わせでは、精神面も考えて、外から鍵がかけられる部屋も用意することが決まっていました」(奈美さん)

 

ただ、海音の思いは、別のところにあった。海音が語る。

 

「処置室で、10人くらいのスタッフに囲まれて、足を切断するって言われました。どう説明されたのか、あんまり覚えていません。でも『切断して義足をつけると、歩けるようになる』って言われたのは覚えている。一生、歩けないと思っていたから、モデルとしての今後よりも、歩けるうれしさのほうが大きかった。迷いもありませんでした」

 

中1の夏、海音は右足を失った。

 

手術後、海音が病室で目を覚ますと、奈美さんの顔が見えた。

 

「全身麻酔をすると、口の中が砂漠を通り越すくらい、カッピカピに乾いて、喉がくっつくくらい。何か冷たいものが食べたくなって『アイス、買うてきて』って口から出てました」

 

顔をのぞき込む奈美さんは、海音の第一声に、「買うてきたる」と泣き笑いの表情でこたえた――。

 

手術後、義足だということを知られるのを極端に恐れ、対人恐怖症になってしまったという海音。しかしそれを克服し、再びランウェイに戻ってきた彼女を突き動かしたものはなんだったのか。

 

「義足であるのを黙っているのがだましているようでつらかったけど、言ってしまうと友達でなくなったり、人が離れていくのが怖かった。でも今は、義足であることをオープンにして、心がスッキリしました。カラに閉じこもっている人とか、同じ境遇の人たちが勇気を持てるように、どんどん活躍の場を広げていきたいと思っているんです」

 

「女性自身」2020年11月10日号 掲載

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