「佑は当時、反抗期でした。俺も長期ロケで家を空けることも多く、カミさんが手を焼いていた。で、夏休みの2カ月間、主役の少年役で撮影現場に放り込んだんです。映画って縦社会で、周りは大人ばかり。寂しくて、ひとりの部屋で泣いて電話してきました。僕も尊敬する(故・原田)芳雄さんをはじめ、先輩方に『佑、佑!』と呼ばれて、もまれて、すっかり“いい子”になって帰ってきた」
そして父は、その撮影現場まで様子を見に行っていたのだと明かしてくれた、「みっともない親でね」とエクスキューズしながら。
それは、父性の不器用な“愛情表現”に他ならなかったのではないか、と佑に問うと……。
「そうかもしれないけれど、それを親父は直接、態度には出さないんですよね……」
しかし生前の和枝さんは、夫について《自分なりに子育てには熱心だよね。お弁当作ってくれたこともあるし》(『週刊朝日』15年3月6日号)と語っていた。
「えっ、親父が弁当も作っていたんですか? 知らなかった……。そういえば、このあいだ小学校の運動会の写真が出てきたんです。そこになぜか親父が写っていた。来ていたんですね……案外、ちゃんとやっていたかもしれない」
3歳の娘を持つ佑は、いま父親としての立場で慮る。
「子どもの記憶に残るという意味では、やはり母親の方が有利ですよね。親になってみて思うんですが、子がある程度の年齢にならないと、父親ができる『記憶に残ること』はほとんどないですから」
佑は前出の『美しい夏キリシマ』主演で、16歳で銀幕デビュー。同作で第77回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、第13回日本映画批評家大賞新人賞を受賞している。
だが、その数年後、東京乾電池が企画する舞台に叔母の勧めで出るようになってからは、父と子は「師匠と弟子」の関係に突入したという。
「殴られたことこそ一回もないのは事実なんです。でも、なんていうんだろうな……。親父には、殴られるより怖いと思う瞬間があるんです」
初めて佑が「怒鳴られた」のは、19歳、新宿ゴールデン街劇場での公演後のことだった。
「客と仲良くしやがって! 客は敵なんだからな!」
父の怒声が肚まで響いた。
「幼いころの記憶で、稽古場でトマトを劇団員に投げつけていたのを覚えていますが、自分も怒鳴られるのは初めてでした。俺は『怖ええ』と思いながら固まっていた」
ところがそれは序の口だった。本格的な親父のカミナリは、時生との兄弟ユニット「ET×2」を始動させた08年から落とされる。
「公演中に1度は、必ず怒鳴られていました。稽古場より本番が始まってからのほうが怒鳴られる。客席との“なあなあ”な雰囲気が親父には許せないんですね」
だが、そんな「演出家・柄本明」の痺れる空気を体感できるのは、「ありがたいこと」と思っているようだ。17年の兄弟での公演『ゴドーを待ちながら』では、その父に演出を依頼しているのだ。