■「師匠がくれた仕事」背中を押した上島竜兵
2月26日、げそ太郎さんは志村さんとの思い出をつづった『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)を出版する。
亡くなった直後、メディアからの取材依頼が多数きた。しかし気持ちの整理がつかなかったげそ太郎さんはそれを断っていた。
「そのことをダチョウ倶楽部の上島竜兵さんに伝えたら、『バカ野郎! それは師匠がお前にくれた仕事だから受けないとダメだろ』って怒られたんです」
舞台や番組と、何度もチャンスをくれた志村さん。鹿児島に拠点を移してからも、志村けんの弟子という肩書に何度も助けられた。亡くなってなお仕事をくれる師匠に応えようと、げそ太郎さんは取材や書籍のオファーを受けるようになった。
志村さんが亡くなってからしばらくして、げそ太郎さんは自室の一角に志村さんの祭壇を作った。志村さんが生前好んで飲んでいた焼酎を供えて、傍らには水着の女性のポスターを貼った。
「志村さんの写真の周りをとにかく寂しくさせたくなかったんです。せっかくなら水着の女性のほうが喜ぶと思って」
げそ太郎さんは祭壇に毎朝あいさつし、夜寝る前には志村さんの写真を眺めながら晩酌するのが日課になっている。
「志村さんに『お疲れさまでした』と言って飲んでいます。でも僕はお酒が弱いので焼酎1にお湯9で割って飲むのです。そんなのを志村さんに見られたら『酒がもったいない!』って間違いなく怒られますよね(笑)」
希代のコメディアンをそばで見てきた者の1人として、げそ太郎さんはその軌跡をこれからも語り継いでいく。
(取材・文:インタビューマン山下)
「女性自身」2021年3月9日号 掲載