「かかりつけ医にあらためてテストしてもらったところ、認知症を発症した可能性が高いことを指摘されました。それについて所属事務所の社長とマネージャーさんと相談したところ、お世話になったテレビ番組のなかで公表することになったのです。
病気を売り物にするなんてと批判されるかもしれません。でも、私だけではギリギリの状態。3年間ずっと睡眠はろくに取れずに、日中も混乱したよっちゃんがそばにいる。私の何がダメだったからこんなことになってしまったんだろうと自問自答しては悩むばかり。共倒れになる寸前でした」
蛭子さんが認知症と診断された様子がオンエアされた2日後、要介護認定が下り、公的な介護サービスを受けられるようになった。ケアマネジャーは、蛭子さんのためにショートステイ(短期入所生活介護)を受けることを提案。とにかく悠加さんの睡眠時間を確保することを優先させた。
──それから半年が過ぎた。
蛭子さんは、当初、介護施設に泊まることに戸惑っていたが、最近は慣れてきたという。薄曇りの空から優しい光が差してきた。遠くで蛭子さんが満開の笑顔で写真に納まっている。その様子を見ながら悠加さんが語る。
「実は、認知症になる直前まで、2人で連日のように離婚に向けた話し合いをしていました。出会ってから20年近く、私なりに“蛭子能収の妻”になろうと努力してきました。でも、よっちゃんの心のなかには亡くなった前妻の貴美子さんの存在がいつまでもあり、どんなに私が尽くしても夫婦にはなれない。あるとき、ふと、よっちゃんは私ではなくて貴美子さんと添い遂げたかったんだろうな、と思えることがあり、それで別れようと考えたのです。そのうち認知症の症状がひどくなり、離婚どころの話ではなくなりましたけどね」
悠加さんがまぶしそうに空を見上げながら、さらにこう続ける。
「でも、しっかり睡眠を取れるようになり、ひざの治療にも行けるようになり、心に余裕ができたのかもしれませんね。今なら、よっちゃんのことも理解できます。離別ではなく死別でしたからね……。それに認知症が進行していくにつれて、亡くなった奥さんの存在が主人のなかで薄まってきたのかもしれません……。いずれ、私のことも忘れていくかもしれません。でも、認知症になって、ようやく夫婦になれた気がします」
悠加さんは前妻をライバル視していたわけではない。蛭子さんが運転できたころは、月に一度の墓参りに欠かさず付き添い、その後も、近くの大師で毎月、護摩供養をしている。
ただ、悠加さんはいない相手と闘っていた。理想の妻になる。いや、ならなくてはいけない──。蛭子さんの認知症は、そんな悠加さんの呪縛を解き放したのかもしれない。
「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載