逆境のなかでひたむきに生きる女性の姿を描き続けた宮尾登美子さん 画像を見る

「小学校2年生か3年生くらいから『オカマ』『気持ち悪い』って言われるようになってしまって。その言葉を聞くたびに、胸がえぐられるような気持ちに……。なるべく人と関わらないで、自分の世界で過ごすようにしていました」

 

そう話すのは、美容家のIKKOさん(59)。’81年に上京するまでは、劣等感と孤独感を抱いていたという。一方、美容室を経営していた母親の影響で、ヘアメークなど美容に関しては強い興味と、行動力を持っていた。

 

「高校の友達が行く美容室で、素晴らしい先生に出会ったんです。今まで見たことのないような2枚バサミのカットの仕方がきれいで、次の日に『雇ってください』って直談判しに行きました」

 

高校卒業後は美容専門学校へ進学。厳しい環境だったという。

 

「白衣を忘れると朝から晩まで正座よ〜。中学を卒業して進学してきた16歳くらいの女のコが、お化粧なんかしてきたら、干している雑巾で顔拭かれるくらい」

 

専門学校を卒業し、いよいよ社会へ出ようとするとき、IKKOさんは厳しい環境に身を置こうと決心をする。

 

「それまで中傷の言葉に傷つくことを恐れ、自分の感覚のなかだけで生きてきたから、独特の感性が育まれたっていうのはあります。けど、そのぶん社会人としては、大丈夫かなって思うくらいのレベルだったんですね(笑)」

 

だからこそ、専門学校の理事長から、澤飯廣英氏が経営する横浜の超一流サロン「サワイイ」を紹介されたとき、迷いはなかった。

 

IKKO語る修行時代「『親の顔が見たい』とまで言われた…」
画像を見る 社会人になりたてのタイミングで、宮尾登美子文学の映画と出会ったIKKOさん

 

「理事長からは『厳しいところで有名』『途中であきらめて帰ってこられると次の生徒が行けなくなってしまうから困る』とくぎを刺されました(笑)。たしかに、いざ就職してみたら大変で大変で、もう涙が出ない日はないくらい。最初の3年は毎日、何回も涙してましたね」

 

住み込み初日から、社会人としての常識のなさを痛感したという。

 

「ご飯ができたと聞いて、普通に食卓についたんですよ。そうしたら澤飯先生の奥さまの公子さんから、『今日からアナタは社会人で、お客さんじゃないんだからね。今日は働いてないでしょ? 稼いでないのにご飯食べられると思う?』って言われて……。ちょっと間を置いて、ご飯は出していただけましたが、いきなりの洗礼でした」

 

タオルの干し方ひとつをとっても自己流は許されず、『なってない。両端を持って、もっとピッとのばすこと』と叱られた。

 

「接客も電話応対も全然だめで、先輩からは『お前みたいな馬鹿がどうやったら育つのか、親の顔が見たい』とまで言われました。それも仕方ないと思うほど、常識がなかったんです」

 

まさに苦労続きの’80年代。教えられたことを吸収しようと奮闘する日々のなかで、一流に触れる機会も多く、感性が磨かれた。

 

「『お客さまが身につけている、何千万円もの毛皮の価値を理解しなさい。でも価値に怯えちゃいけません』といったことを、よく言われました」

 

「女性自身」2021年5月25日号 掲載

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