住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に感銘を受けた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「’80年代は、九州から上京して、一社会人として修行をしていた時代。世の中はバブルに沸いて楽しい時代だったのかもわからないけど、私にとっては涙しかなかったような気がしますね。でも、そんな私に生きていく力を与えてくれたのが、宮尾登美子さん原作の映画でした。とくに見惚れてしまったのが、『陽暉楼』(’85年)や『櫂』(’85年)、『夜汽車』(’87年)など、大正末期から昭和初期にかけての、凛として力強い女性の生きざまを描いた一連の作品です」
こう’80年代を振り返るのは、美容家のIKKOさん(59)。たとえば『櫂』では、女衒の夫のいる現実に耐えながらも、家族や子どもを守るために生きていく姿に感銘を受けたという。
「私自身も生きにくさを感じていたから、芯の強い、どんな逆境でも懸命に生きる女性の強さに憧れていたんですね。主人公を演じる十朱幸代さんが、大事に育てた子どもを別居する夫の元に引き渡す際、雨のなか和傘をさして佇むシーンがあるんですが、美しかったなって思い出します」
『陽暉楼』の豪奢な和装の芸妓の姿には、目をみはった。
「真の色気を考えさせられました。色っぽさというのは、からだ全体から発せられるもの。息遣いであったり、しなり方だったり、帯の締め方、襟の抜き方、そして髪形も大事。たとえば髪の毛にこれくらい空気が入って、柔らかさがこのくらいで、今にも崩れそうな髪の毛は襟足のこのあたりにあって……のような、細かい魅せ方を勉強させていただきました」
こうして培われた和の世界を表現するヘアメークの感性は、美容専門学校卒業後に就職した澤飯廣英氏が経営する横浜の超一流サロン「サワイイ」を退職し、独立した後にも生かされた。
「アトリエGOROを主宰するヘアデザイナーの伊藤五郎先生が、ご自身に来た仕事がスケジュールが合わず、『和装がうまい』からと私に回してくださったんです。もう大抜擢だったと思う。昨日今日フリーになった人間がすぐ表紙のヘアメークをやるわけだから」
眞野あずさを担当した『美しいキモノ』の表紙がきっかけとなり、『ミセス』や『家庭画報』の表紙のヘアメーク依頼も舞い込み、仕事が激増。その後の活躍は、誰もが知るところだ。
「’80年代は、今の私を作り上げる、助走期間の10年でした」
「女性自身」2021年5月25日号 掲載