■好きという私の気持ちは、誰にも負けない!
「赤井は一人ではいられない人間で、男女問わずウエルカムでした。私は『リストの上から順番にかけてつながる人の一人』だったはず。だから呼ばれたらすぐ行けるように、外出先からも遠隔操作で留守電の有無を確かめていました」
そんな胸を焦がす数カ月が過ぎて、夏には交際が始まっていたが、佳子さんには“ステディ”である自信はなかったという。
宮沢りえ(48)、南野陽子(54)などトップ女優の相手役を務め、当代きってのモテ男だった赤井さんに、当時ほかの恋人がいたかどうかも「知りませんでした」と述懐する。
「それでも、赤井を好きだという感情は抑えられなかった。もしほかに誰かいたとしても『私がいちばん赤井を好きだ』という気持ちは、絶対に負けていなかった!」
「佳子ちゃんと結婚しなきゃ、僕が幸せになれない」
一方の赤井さんは、こうプロポーズしたのだと、過去のインタビューでは語っている。しかし佳子さんは「そんなこと言われてません」と言下に否定。
「プロポーズされたこともないし、そんな類いのこと言われてもない。実際は、私が大阪の彼の実家に押しかけた“押しかけ婚”でした」
そんな仰天の新事実を佳子さんが語りだした。
「赤井が何をしてる人かなんて、眼中になかったし、どれだけ稼いでいるかも知りませんでした。後先考えず、押しかけたんです。私は、同居すれば義理の両親も、さぞ喜んでくれるんじゃないかなと思っていたんです。でもご両親は『なんでおるの、このコ?』っていう目をしていた。『このコがおらんかったら、もっと息子といれるのに』と思っていたでしょう」
そんな気持ちからか、義父・五郎さん(故人)が毎日のようにチラシの裏に「出て行ってください」と書き置きしていたという。
「お義母さんもふと『英和なら、どんな女優さんとでも結婚できるのになあ』なんて漏らすものだから、私も『ホント、そうですよね~』とか言ってね」
しかし赤井さんは“どこ吹く風”で、大阪にいても地元の仲間と遊び歩いてばかりで、実家に寄りつかなかったという。それでも佳子さんは石のように居座り、赤井家を離れようとしない。
ほどなくして、佳子さんの妊娠がわかり、赤井家一同が仰天するなか、地元の商店街や同級生は祝福ムードで盛り上がり、てんやわんや。とうとうあきらめたのか、根負けしたのか、義母から「容認」とも取れる発言が……。
「相変わらず、糸が切れた凧みたいに赤井が帰ってこないのを見かねてですけど、お義母さんが私に『アンタ、しっかりせなあ』って」