■子犬のような目で「親子だよね!」と言った三浦さん
同じころ、やはり切ない親心を抱きながら三浦さんと接していたのが、サーフィンの師匠で「茨城元気計画」代表の卯都木睦さん(うつぎあつし・54)。
「春馬と最初に出会ったのは、彼が14歳のときです。映画でサーファー役をやるので、『一から習いたいです』と、お母さんと義理のお父さんと一緒に訪ねてきた。映画が終わった後も、春馬は20歳で車を買うと、今度は自分で運転してうちへ来るようになりました。ちょうど’16年ごろから訪れる頻度が高くなり、亡くなる前年には週2ペースだったと思います」
卯都木さんには、三浦さんより年下の3人の息子がいる。にぎやかな食卓で大皿で供される料理に、彼が目を見張る場面もあったという。
「’19年の元旦は、一緒にサーフィンをしてから初詣でに行きました。その後、僕と息子3人と春馬とでステーキ店に行ったんです」
たわいない会話が途切れたタイミングで突然、三浦さんが言う。
「いつも海に行ったり一緒にいて、初詣でまで行って……もう親子だよね!」
そのときの表情、特に目が忘れられない、と卯都木さん。
「『親子だよね!』と言ったあとの春馬の目が、僕の答えを待っているんだよね。子犬がね、目をキラキラさせて人の顔をのぞき込むように」
即座に、こう答えていた。
「よし、春馬は今日から長男だ。キミたちは4兄弟だ! 今日から親子でいこう!」
家族の笑い声がはじけた。
「以降、春馬はうちでは短パン姿のこともありましたよ。『ママさん、ただいま~』って妻に言って、ダダーッとリビングのソファに横になって……もう、うちの息子です。結婚の話も出ました。僕は『絶対に芸能人と結婚するんじゃないよ』と言ってた。『夫や子供が帰宅したとき、お母さんが“お帰り”と迎えてくれるような家庭を作りなさい』と。春馬からは、『どうやって一般の女性と知り合うんだよ』と返ってきましたが。僕のことを『尊敬できる人間』と言ってくれてましたが、本当に求めていたのは『親』だったと思います」
それから、「春馬が亡くなって1年たつから話せるけど」と、こんな秘話を語ってくれた。
「お酒を飲むと素に戻るのは、春馬も同じです。あるとき、僕の息子たちに向かって言いました。『これからの時代は、自分の身は自分で守らなければいけないんだぞ』。いろんなつらい経験をしてきた春馬らしい言葉だと思いました」
以前からの母との確執に加え、この前後、幼少期に生き別れた実父と再会するも良好な関係を長くは続けられなかったことが、のちに関係者などから明かされている。
その後も、卯都木さんとはアメリカへのサーフィン旅行の夢などを語り合っていたが、『映画 太陽の子』(8月6日公開予定)の撮影などで多忙となり、三浦さんが茨城を訪れる回数は減る。そして、’20年7月18日が訪れる。
「スタッフから春馬の訃報を聞いて、『嘘だろ!?』と。直後から怒濤のような取材攻勢で、悲しむヒマもなくて。ただただ、無理にでも春馬に『茨城に帰ってこい』と言っていれば、と思うんです」
5歳のころから三浦さんを知る加藤さんは昨年5月、つまり亡くなる2カ月前に、スタジオの仲間を介し、近いうちに会う約束をしていた。
「もう春馬も30歳だし、ようやく大人の話ができると楽しみにしていたんです。そろそろ電話があるかな、どこでご飯を食べようかと。私がアミューズさんに送り出した気持ち……もしかしたら春馬には“社長(加藤さん)に距離を置かれた”という誤解があったかもしれない。だから、ちゃんと気持ちを伝えたかったんです」
しかし、あの日、自宅リビングのテレビで目にしたのは“息子”の逝去を告げるニュースだった。
静かに眠る三浦さんと対面したのは、死の2日後。
「内密にされていたからか、平服でと言われましたし、場所も斎場ではなく、貸しビルのようなところの一室でした」
30分ほど、2人だけの時間をもらえた。が、棺に入れられていたため、いつものようにハグできない。それでも棺に手を差し伸べ、抱き寄せた。
「『ばか、なんで!? なんで!?』……夢を見ているようでした。すごくきれいな顔でした。ほんとにきれいで……また帰ってきてくれるような気がしました」