■どうやっても聖子ちゃんカットにならなかった
校則でパーマが禁止されていた中学時代。それでも“聖子ちゃんカット”にしたくてクラスメートの女子たちは、両サイドの髪をくるくるブラシで巻き、ドライヤーをあて、スプレーで固めるなど、毎朝、涙ぐましい努力をしていた。
「でも私はバスケ部で、毎日のように朝練に参加していたから、髪の毛をいじる時間がなくて……。そもそもかなりの直毛で、しかもショートカットだったので、どうやっても“聖子ちゃん”にはならず、むしろ“モンチッチ”みたいでしたけど」
他校との練習や試合へ行くときは、いつも自転車。だから真っ黒に日焼けしていた。
「ボールを3つくらい入れたケースをたすき掛けにして、汗びっしょりになりながら隣の市まで行ったりしていました。3年生を先頭に、2年生、1年生の順で列になって。赤信号では『止まってくださーい』って前から号令がかかるんです。いまでは交通事故のリスクもあるから、こうした自転車での移動は少なくなっているかもしれませんね」
部活にのめり込んだ毎日。たまの休みの日は、実家のある柏市から常磐線に乗って、東京まで遊びに行った。
「何をするわけじゃないんですが、上野のABABやマルイに洋服を見に行ったり、原宿で竹下通りをぶらぶらしたり、クレープ屋さんに行ったりしていました」
友達だけで映画館に行くようになったのも、中学生になったころからだったという。
「初めて友達と見た映画が『E.T.』だったと思います。バスケ部の休みの日でしたが、なぜか卓球部のえっちゃんと行った記憶が」
SF映画といっても、描かれているのは宇宙人による侵略ではなく、E.T.と子どもたちの友情。
「とにかく、あの見た目のかわいさに感動しました。シワシワでうちのおじいちゃんに似ているんです。大人たちの追跡から逃れたシーンでは“スピルバーグは子どもたちの味方なんだ”って感激して、それから数日間、パンフレットを眺めて余韻に浸っていました」
映画館に行くのは年に数回だったが、友達と一緒に行くこと自体が“大人になった感覚”で、ちょっと誇らしかったという。
「’80年代はハリウッド映画が全盛で、黒澤明監督の『乱』(’85年)以外は、『ステイン・アライブ』(’83年)や『フラッシュダンス』(’83年)といった洋画を中心に見に行っていました」
バスケ部の合宿で休憩時間に、先生が持ってきた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(’85年)のビデオ鑑賞会があった。
「すごくハマって、パート2、パート3も見ました。いまでもテレビで放送されると家族で楽しんでいます」