「原点は恩返し」全盲の佐藤ひらりがパラで国歌の夢を叶えるまで
画像を見る 母から被災地を応援するための曲作りを提案されて小学4年から作曲をはじめたひらりさん

 

■失敗を失敗と思わない。母娘2人、まだまだ新たな夢の途中にいる!

 

「無謀だ、むちゃだって、もう、散々言われましたよ」

 

絵美さんはこう言って笑った。

 

「私たちはこれまで、たくさんの夢をかなえることができましたけど。その過程にはきっと失敗もあったはずなんです。はず、というのは、私たち、失敗と思わないので。それに、自分1人ではかなえられる夢なんてないとも思ってる。ひらりには『周りのたくさんの人に、自分の夢のこと、話しなさい』って教えてるんです」

 

そう、「無謀」とあざける人がいるいっぽう、手を差し伸べてくれる人も必ずいた。だから、2人は今日も、堂々と夢を語る。

 

「私は、スティービーとひらりの共演が夢です。だから私も、いまから英語、勉強しとかなくっちゃ」

 

母がこう話すと、娘がすかさずツッコミを入れる。

 

「それ言うなら、スティービー・ワンダーでしょ。ファーストネーム呼び捨てって、友達ですか(笑)」

 

いっぽう、当のひらりさんの夢はというと。

 

「私は『全盲の』という看板を下ろしたいです。昔、保育園や小学校で『見えないのにすごいね』とよく言われて。私、いつも怒ってました。『見えないのにって、必要ないでしょ!』って。だから、理想は歌を聴いた人が『え、見えないの?』って驚いてくれるようなミュージシャン。それこそ、スティービー・ワンダーですね」

 

笑顔で答えたひらりさんを、絵美さんがうれしそうに抱きしめた。母娘は、いまもまだ夢の途中だ。

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