長山洋子「洋楽のリズムが体に…」演歌デビュー叶えたアイドル時代のマハラジャ通い
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■芸能人は顔パスで…マハラジャ通いで鍛えられたリズム感

 

とはいえ、忙しかったのはデビュー1年目だけ。2年目に入ると、あらたにデビューしたアイドルに注目が集まるように。

 

「毎月初めにスケジュール表を渡されるんですが、2年目に入ると“うそでしょ、印刷し忘れてない?”って思うくらい、真っ白に。“これが現実か……。このままでは忘れられてしまう”って、血の気が引く思いでした」

 

そんな時期に、ディスコから生まれたバナナラマのヒット曲『ヴィーナス』と出合い、日本語バージョンを「洋子に歌わせてみようか」ということになったという。

 

「それまでディスコとは縁遠く、縦ノリで歌う経験もなかったため、事務所のスタッフから『勉強のつもりで、マハラジャに行って遊んでこい』と言われたんです。ディスコブームの中心地・マハラジャには、テレビや音楽業界の人たちが毎晩のようにこぞって通っていたんですね。いつ行っても行列ができていたんですが、芸能人は顔パスということで入れてもらえて。『あまりにもリズム感がない』と言われていましたが、ディスコにいるとガンガン音が聞こえて、いやでも洋楽のリズムが体に入ってきました」

 

『ヴィーナス』はヒットし、自身初のオリコンベスト10入りを果たした。

 

「昼間、マハラジャを貸し切りにしてイベントを開催したり、夜は『歌いにきました。踊ってください』とプロモーション。すごく忙しくなって“これで歌手として生き残れるかもしれない”って、ようやく自信が得られたんです」

 

歌手ばかりでなく、女優としての活動を開始したのもこのころ。

 

「’90年からは時代劇『三匹が斬る!』シリーズ(’87〜’95年・テレビ朝日系)に出演して、3年間、京都撮影所に通いながら、着物の着付けや所作を学びました」

 

一方で、演歌の勉強も一からやり直し、’93年、『蜩—ひぐらし—』で、念願の演歌デビューを果たすことができた。

 

「自分の描いていた道からだいぶ遠回りしましたが、今思うと一つのことだけを身につけるより、さまざまなジャンルを吸収したからこそ、現在の演歌歌手としての私があるんだと思います」

 

マハラジャ通いも、演歌歌手になる夢をかなえるための、重要な勉強の一つだったのだ。

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