松本明子「スタッフに羽交い締めにされて」振り返る37年前の“放送禁止用語”事件
画像を見る 放送禁止用語を叫んだ頃の松本さん

 

■壁になった’82年組の存在

 

いまでも、上京した日のことは忘れられない。

 

「生まれ育ったのは四国の田舎。瀬戸大橋もかかっていない時代です。『ズームイン!! 朝!』(’79~’01年・日本テレビ系)が取材に来てくれて『いま歌手を夢見て上京する1人の女のコが、連絡船に乗っています』って、中継までしてくれたんです」

 

父親の親戚宅に下宿し、堀越高校に通いながら、オーディションを受けては落ちる日々。

 

「ホリプロタレントスカウトキャラバンなどのオーディションに応募したけど、全然ダメで。でも、1年先輩の明菜さんやキョンキョンも出演した『スター誕生!』(’71~’83年・日本テレビ系)に出られることになったんです」

 

同じ回には、本田美奈子.さんや徳永英明も出場していた。

 

「美奈子.ちゃんは14歳くらいだったんだけど、抜群の歌唱力でした。当時、20歳くらいでお兄さん的存在だった徳永さんが中心になって、本番前に『みんなで頑張ろう!』と円陣を組んで臨みました」

 

聖子のサードアルバム(’81年)に収録されている『~オレンジの香り~Summer Beach』を披露し、渡辺プロからスカウトを受けると、高2から念願の堀越高校芸能コースへ編入し、寮生活を始めた。

 

デビューは’83年。メークやスタイリストは事務所の先輩であるアン・ルイスのチームから選出されるほどの力の入れようだった。

 

「デビュー曲の『♂×♀×Kiss(オス・メス・キッス)』は、アイドルソングというより、ちょっとロックテイストのあるものだったんですが……。田舎で育った私にロックは無理があって、オリコンも最高順位が131位と、売れませんでした」

 

前年デビューした’82年組の人気の高さも、大きな壁となって立ちはだかったという。
「テレビの水泳大会でも、’82年組がプールサイドで歌っているところで、私は競泳とか騎馬戦に出場していましたから。私の歌は、BGM的な扱いでした」

 

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