■「辛抱していれば必ずいい時が巡ってきます」ーー京都寂庵の堂守・馬場君江さん
「私が先生にお仕えして、29年と7カ月になった日でした。早暁の4時ごろ、病院からの連絡が、秘書のまなほさんを通じてまわってきて、寂庵のスタッフ全員と、先生のお嬢さんとお孫さんが病室に駆けつけていました。
みんなで『先生!』と呼びかけると、目を開けてくださったのですけど……、間もなく目をつむり、スーッと眠りに入っていかれました。思わず手を握ると、いつもと変わらない柔らかな手で、お顔も本当にきれいで、穏やかでした。
最後にお話ししたのは10月末でした。先生が私を見て、『明日、退院するからね』と、いつになく弾んだ声でおっしゃって、私が『先生、待ってますよう』と、笑い返したのが最後でした。
もう先生はいらっしゃらないと思うと、何だか全身から力が抜けて、寂庵に通うのがつらくなってしまいました。でも亡くなった数日後、道場のご本尊・観世音菩薩の前にお骨が帰ってきたのです。
戒名にあたる法名は『(ひへんに華)文心院大僧正寂聴大法尼』、遺影は先生が気に入っていた、写真家の篠山紀信さんが撮ったものです。
天台寺にご自分で用意なさった墓所は、12月から翌年の春まで積雪が解けません。それまでお骨は道場に祭られていますから、それをお守りすることが堂守の私の役目かな、と思いいたりました。
いまは毎朝道場に通ってお花と線香を替え、精進料理のお供え膳を上げ下げしています。お味噌汁、野菜の煮物、漬け物、先生のお好きだったお豆などをお台所で用意していると、『いつもおいしいご飯を作ってくれてありがとう』という先生の声がどこからか聞こえてくるような気がして……、あとからあとからいろいろなことを思い出すのです。
あれは13年前の春でした。長年勤めていたスタッフ全員で相談して、『私たちを雇い続けるために先生が無理して働かなくてもいいように』と、退職願を出したのです。長引く不況のさなかに自分から辞めるなんて、ふつうは考えられません。スタッフはそれほど先生に感謝し、大好きだったのです。先生とお別れするのはつらいけど、私もそのつもりでした。
そうしたら先生に呼ばれて、『あなたはお寺(嵯峨野サンガ=道場)のことをしているから、寂庵に残ってね』と、言われました。
それからずっと堂守をしながら、道場での法話の会では、へたながら司会もさせていただくようになりました。そんな先生との長い生活の中で、ひとつ、印象に残っている言葉があります。
『どんなに苦しいことも、つらいことも、決していつまでも続かない。辛抱していれば必ずいい時が巡ってきます』という言葉です。
これから寂庵はどうなるのでしょうか……。あれこれ考えているとつらいし、そんな自分が悲しくなります。でも先生は、どんなに悲しいことも続かない、とおっしゃいました。
先生が満100歳のお誕生日を迎えるはずだった’22年5月で私が先生にお仕えして30年になります。少なくともそれまでは大事にお堂を守らせていただきたいと、いまはただ、そう思っています」