帰宅後すぐ息子の入浴と料理 榎並アナが2週間の育休で得たもの
画像を見る 息子の沐浴をする榎並アナ

 

■コロナ禍で立会い時間が限られた出産当時。居ても立ってもいられず一人、駐車場で待機

 

「系列局の新人アナが集まった研修では、アナウンススクールで学んだ経験がなかったボクはいちばんの素人。力の差は歴然で、落ち込む余地すらありませんでした」

 

アナウンサーとしてのデビューは、視聴率20%超の人気バラエティ番組『はねるのトびら』。11年からキャスターを務めた夕方のニュース番組『スーパーニュース』では、海外取材を初体験した。

 

「14年にタイで起きた反政府デモの取材でした。特派員経験が豊富な先輩からは『平和なデモだけど、何かのタイミングで状況が一変する。空気が変わったら、その場から離れるように』とレクチャーを受けていました」

 

実際に衝突が起こって銃が発砲されるケースもあったため、防弾チョッキと防弾ヘルメットを装着して現場をレポート。

 

幸いにして反政府デモは、ライブが行われるなど、平和なものだった。

 

「そこにフル装備で厳しい顔のボクがいたものだから“なんかオモシロイのが来てるぞ”と、バシャバシャ写真に撮られたんです」

 

タイのSNSで“笑わない日本のジャーナリスト”と拡散され、一夜にして有名人に。

 

「新聞各紙、テレビ各局にも取り上げられました。ヘルメットをかぶっていたから、オートバイのCMオファーもあったんです」

 

そんな縁もあって観光庁の日タイ観光特使を務めつつ、15年には昼の帯番組『バイキング』の進行役に抜てき。

 

16年には、プライベートでも結婚という人生の節目を迎えた。榎並アナが二十歳のころに知り合った、妻でモデル・美容研究家の有村実樹さん(35)が振り返る。

 

「初対面のとき、夫は集合時間ギリギリにダッシュで駆け込んできたのを、今でも覚えています。滝のような汗をかいて『すみません』と謝る姿を見て、一生懸命な人だなぁと感じました。

 

結婚のきっかけは付き合いも長くなり、将来、子供を持つことなどを考えたとき、30歳がいい節目かなと思ったためです。子供を産むなら年齢も大切だと話し合った記憶があります」

 

20年10月からは、現在の『イット!』のメインMCに。公私共に順風満帆だったそのころ、ついに実樹さんの妊娠が判明したのだ。

 

榎並アナは、小さく、はかない命と慎重に向き合ったという。

 

「心拍の確認、胎動の有無など週ごとに壁があって、それを越えるたびに安心しては、次の不安がくるという連続でした。

 

一方、恥ずかしながら一人暮らしの経験がなかったため、出産後に妻をサポートできるよう、家事の勉強を一から始めました」

 

料理はレシピどおりでしか作れず、たとえば野菜を4分の1しか使わなかったら、4分の3をそのまま余らせてしまう。

 

「妻には『分量は目安だから』『味付けさえちゃんとできれば、成立する』とアドバイスを受けました」

 

家事の過酷さも痛感したという。

 

「換気口のフィルター掃除、排水口のネット交換など“見えない家事”の存在を知りました。洗濯一つとっても、洗濯機を回す、干す、取り込む、たたむなど、複数の作業があって、予想外に重労働。そんなことも知りませんでした」

 

妊娠生活が安定期を迎えるタイミングで、出産後にまとまった休みを取ろうと、会社に相談した。

 

「でも育休という意識はなくて、毎年取得している夏休みの1週間、年次休暇の1週間を合わせて、2週間の休暇を取ろうと思って上司に妻の妊娠を伝えたんです。すると『おめでとう! 育休どうする?』と提案され“そういう方法があるのか”と気づきました」

 

人事部で対応してくれた、3人の子を産んだ先輩職員は、男性の育休取得を喜んでくれた。

 

「申請をして気づかされたのは、育児『休暇』ではなく、育児『休業』であること。単なる休暇ではなくて、育児をするための休業なんだと覚悟を決めました」

 

男性である以上、出産の苦しみは経験できないが、少しでも妻の励みになればと思い、出産に立ち会うことも決めていた。

 

昨年の夏、実樹さんに出産の兆候が表れたのは、生放送を控えた日の朝。

 

「きっと栄養が必要だろうと、おにぎりと栄養補給ゼリーを買いにコンビニに行ったんですが、軽いパニックで、ありえないくらい大量に買って、妻としては迷惑なだけだったかもしれません(笑)」

 

出社しても、何かあったら連絡が来ると思い、ソワソワと何度もスマホの画面を見てしまう。

 

その日は、番組終了後の反省会を欠席させてもらい、すぐに帰宅。

 

コロナ禍で立会い時間が限られていたため、妻の入院先からの連絡を待っていたが、居ても立ってもいられず、車で産院まで行き、一人、駐車場で待機。

 

「ようやく病室に呼ばれたのは夜11時過ぎでしたが、そこからが長かったんです。立ち会いでは手を握ったり、汗を拭いてあげたり、飲み物を飲ませてあげるといいと知識は得ていたので手を握ったんですが、それどころじゃない妻からは『大丈夫』とやんわり断られました(笑)。

 

かといってスマホをいじるとイライラさせるだろうし、あおぐ案配がわからないまま、用意していたうちわを、ただ握っていました」

 

不器用だけど、実直で優しい夫に、実樹さんは何を感じたのだろうか。

 

「私を心配そうに見る表情から、一緒に出産に向き合って、挑んでいるという気持ちになれました」

 

いつの間にか朝を迎え、ようやく医師や看護師がバタバタと部屋に入ってきたのはお昼前だった。疲労困憊で記憶も曖昧だが、元気な男の子の産声を聞いた瞬間、涙が止まらなかったことだけは覚えている。

 

次ページ >帰宅後すぐに息子をお風呂に入れ、夫婦の夕食を作るパパ

【関連画像】

関連カテゴリー: