「家に泊めたお礼が靴下」杉田かおる明かすブレイク前のBOOWY秘話
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■たまたま終電を逃したBOOWYを泊めることに!

 

さらにこのリビングが“開運部屋”であることを確信させたのがBOOWYだったという。

 

「私の不良仲間にBOOWYのマネージャーをやっていた人がいて、ずっと『才能がある』と聞かされていたんです。たぶん彼らのメジャーデビュー前後だったと思うんですが、その人から『目黒駅近くで練習していたんだけど、終電を逃してしまって。みんなお金がないから、始発まで家に置かせてもらえない?』と、夜中に電話があったんです」

 

しばらくすると、黒い服を着た男たちが、30畳のリビングを見て「うわー、広いなー」と言いながら、ぞろぞろ入ってきたという。

 

「そのときは誰が氷室(京介)さんで、誰が布袋(寅泰)さんかわかりません。ウチには布団がなかったんですが、彼らは『雑魚寝でいいです』って。帰りの交通費もないくらいだから、おなかも減っているだろうと、次の日の朝は、母がごはんを作って食べさせてあげたんです」

 

帰り際、メンバーの一人が「ボクたち、お礼も朝ごはん代もなくて」と、なぜか靴下を置いていったという。

 

「母も『気持ちはわかるんだけど』と言いつつ、その律義さに笑っていました。いろんな人がウチに遊びに来ましたが、こんな生真面目にお礼をしていったのはBOOWYだけ(笑)」

 

その後、瞬く間に’80年代を代表するバンドに成長。

 

「誰よりも早く宝物を見つけたような、得した気分でいます」

 

この開運部屋もBOOWY人気でさらにパワーアップしたのだろう。バブルがはじける前に売ることができたとか。

 

’80年代の荒波を無事に乗り越えられたのは、BOOWYのおかげだった!?

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